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2016.06/04 科学の知識(6)

指導社員が見本となるサンプルを作ることができたのは、偶然ではない、と思った。少なくとも毎朝行われる粘弾性に関する座学を聞いていて、その物性を狙って作った、と感じた。ただし狙って作ってはみたが、再現性が無いので当方に自由に作業をやらせて条件を探しているのではないか,と想像した。
 
また、この想像を指示する出来事があった。マッチを使いはじめ、加硫ゴムの物性が安定し始めた頃に、分析室の女性が小生の作成したサンプルを受け取りに来たのだ。しかし、当方が初めて混練したサンプルから物性が安定し始めたサンプルまで分析しても何も分からなかった。
 
ただし、分析して何も分からなかったことよりも、分析室の女性がサンプルを取りに来たことを不思議に思った。指導社員に尋ねたところ、指導社員は、当方が朝の座学で居眠りをしている時に説明した、と言われた。これにはまいった。
 
さらに寝ているときにいろいろ大切なことを話したかもしれないが、とも言われた。この翌朝から座学の時の居眠りは無くなった。ただ指導社員は優しかった。ゴム材料を開発するために座学で話した粘弾性論は忘れてしまってもいい学問だと言われた。ただし全体の大系を把握して欲しいので同じような話を繰り返して話している。だから眠くなっても仕方がないと思っている、と言われた。
 
おそらく粘弾性論は、高分子の世界では、新しいレオロジーの学問に置き換わるだろう。その時にクリープ関数などがどのように見直されるのか、それは何故かを考えて欲しい、とも言われた。
 
科学の知識は、それが大系としてまとまると、新しい発見を排除するようになる、と難しい哲学の話を指導社員は昼休みにしだした。粘弾性論でゴムのクリープを説明できないのは、粘弾性論が間違っているのではなく、そこには粘弾性論にかわる新しい知識の大系が求められている、と含蓄のある話を聞かされた。
 
その日の昼休みは偶然将棋の相手がいなかったので、当方に難しい話をしてくださったのだ。形式知について大学の教養部哲学の時間に学んだが、それよりも分かりやすい話だった。しかし、この手の話は、わかりやすい話でも難解である。

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