2016.06/09 科学の方法(2)
KKDをバカにしてはいけない。KD(勘と度胸)だけの場合は当方も疑問を持っているが、経験知(実践知)を重視し、科学の情報を活用し、うまく勘を働かせて技術開発を行うならば、KKDは企業で許される方法だと思っている。
すなわち、KKDのKの意味が科学の情報(K)と経験知(K)であり、DがDOの時には、効率的な技術開発ができる。ここに暗黙知(A)が加わり、KKAD(形式知、経験知、暗黙知でDO)となれば、理想的な技術開発方法だ。
科学と疑似科学の境界問題について解が得られているかどうか知らないが、20世紀末のビジネス界において歓迎されたロジカルシンキングは、むしろその境界を著しく不明確にしたように思う。ロジックでごまかす輩も現れた。
例えば燃費不正問題はその典型であり、いくら科学的に正しく測定されたとしても規格の手順通りでなければアウトとなる愚直な考え方がないがしろにされた。おそらく、規格通りでなくても規格値同様の結果が得られる、と説明がロジックにより正当化されていた、と思われる。
現代のビジネスの現場では、大局的にみればおかしな結論になっても、ロジック(屁理屈)をつなげてあたかも正しいような議論を展開し説得するようなシーンが時々見られる。研究開発の現場も同様で、ロジックさえ正しければすべてが正しいような誤解がある。
技術開発では、まず機能が正しく動作することが重要であり、そのロバストを高めることが重要課題となる。機能が仮に科学で裏付けられてなくてもロバストが高いならば、それはりっぱな技術のはずであるが、高純度SiCの技術は、当初研究所で受け入れられなかったばかりでなく、日本化学会で最初の発表をしたときに、不完全な研究と非難された。
本来学会の場は議論をする場であって、成果を否定する場ではないはずである。しかし、新しい現象の提示とそれから導かれた無機反応の均一性が議論されることなくKKDで見出された前駆体技術を全否定されたのは悔しい思い出である。学会賞を受賞するまで10年以上かかった。そして、その時には審査員になっていた。
カテゴリー : 一般
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