2016.11/23 成果と評価
サラリーマン生活で学んだことは、成果を出してもそれが評価として必ずしも報われないという事実だ。それ故、故ドラッカーは、働く意味を「貢献と自己実現」として説明している。サラリーマン生活ではまさに貢献と自己実現の32年間だった。
20年ほど前から人事評価について成果主義が声高に言われている。ゴム会社は新入社員の研修でも説明があったので30年以上前から成果主義の人事評価である。写真会社では10数年前から成果主義が人事制度に取り入れられた。しかし、いずれの会社においても、明らかに大きな成果を出したにも関わらず、それが評価に結びついていない。
もっとも働く意味は貢献と理解していたのでそれが理由で転職を考えたことは無かったが、なぜ評価されなかったか、という反省は常にしていた。新入社員時代の樹脂補強ゴムの成果は、防振ゴムとして実用化され、後工程の担当者は部長まで昇進している。これは、新入社員の2年間は査定が無い、という人事評価制度から納得している。
しかし、その後担当した天井材の開発では、市場の急激な変化で開発期間が短かかったにもかかわらず納期どおり実用化に成功しても査定はBだった(注)。ちょうど天井材の開発と半導体用高純度SiCの企画提案を行っていたときと重なっており、主担当業務は前者で後者は留学を控えての自主提案業務だった。当時の研究所の方針では、ファインセラミックスをどのように進めるのか決まっていない段階で、外部のコンサルタントに大金を使って調査している最中だった。
半導体用高純度SiCの企画は、昇進試験問題の解答に書いても0点が付いてくるような状態だったので全く評価されていないというよりも提案そのものが一部の反感を買っていたと思っている。
結局研究所の高価なファインセラミックス調査資料はその後ゴミとなり、その調査資料には盛り込まれていなかった、当方が社長の前でプレゼンテーションした半導体用高純度SiCの企画が現在でも事業として続いているのだが、この企画についても2億4千万円の先行投資を頂いたので、それが評価といえる程度である。
企画から推進、事業化まで行っても何も評価されていない。但し、この時の先行投資のおかげで超高速高温熱天秤を開発することができ、高純度SiCの品質管理技術を考案するとともに学位を取得できているので満足している(自己満足)。
先行投資後は6年間いわゆる開発の死の谷を歩くことになり、本部長から指示されて新しい研究企画を半期ごとに提案する業務とセットで高純度SiCの事業化を進めることになった。
FDを壊されるきっかけとなった電気粘性流体のテーマでは、「耐久性向上技術」「3種の高性能粉体技術」「高絶縁ホスファゼンオイル」などの企画とその実現に成果を出したが、結局評価されることなく被害者でありながら事態を収束するために転職している。
自分の32年間の成果と評価について考えるときに、「貢献」の二文字は説得力がある。「貢献」を正しく理解するならば「評価」を求めてはいけないのである。32年間完璧にそれを実践できたかどうかと問われると?である。働く意味の理解はなかなか難しい。
(注)研究所で担当した二人ともABC3段階のBであった。ところがこのキモとなる材料の企画については研究所から出たのであり、明らかにこの評価は成果主義と捉えるとおかしい。おまけに過重労働の毎日で残業時間もつけられないサービス残業の毎日だったので、今から思えば残酷な評価ともいえる。しかしその後も明るく元気に高純度SiCの事業化を進めたのである。企業の中でなぜ職務評価とは別に報償制度が必要なのかと言えば、この一点になる。貢献し明らかに成果を出した組織に何も報われず、悶々と人生を過ごす知識労働者のやりきれなさを日本の経営者はどこまで理解しているのか?このような知識労働者の思いの結果が現在の日本の状態にしているとしたら残念なことである。グローバル化の時代では、なおのことそれぞれの組織が人材の問題を真剣に考えなくてはいけない。写真会社では、退職前にささやかな賞を頂き、退職後には部下から社長賞の記念品を贈られた。褒められてうれしくない人間というのは少ないと思う。当方は褒められれば単純に過重労働でもいとわない性格だが、組織はもう少し褒めたたえる効果の大きさを重視したほうが良い。組織風土を変えるだけの効果があると思っている。
カテゴリー : 一般
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