2016.11/26 過重労働と組織(2)
電気粘性流体用粒子設計の企画が芽をだしたおかげでパートナーが一人できた。ただ、このパートナーには申し訳ないことをした。当方がFD問題で退職を決意した時に、彼もいっしょに辞めると言い出したからだ。ただ状況が状況だけに、パートナーの転職を止めることはできなかった。
ゴム会社そのものは、創業者の理念が生きており大変魅力的な会社だと思う。特に役員の方たちは経営の力量の高い方が多い。12年間在職し、その方たちに指導されたことは今でも大変役に立っている。高純度SiCの事業を苦しいながらも継続できたのは、その方たちからの厳しいご指導のおかげである。
これは視点を変えると、過重労働の押し付けになるのかもしれないが、当方はそのように受け取らず、とにかく当方の命ある限り事業が成功することを目指した。
しかし、FDを壊される妨害を受け、組織が正しく機能しない現実を知った時に、転職を選択する以外に道は無かった。定年まで高純度SiCの事業化を担当する決意で業務を推進していたが、住友金属工業とゴム会社との契約もまとまりJVが佳境に入っていたので、当方でなくても業務を進められる状況だった。
不思議なことに、当方とパートナーが辞めると表明した時に、高純度SiCのプロジェクトを拡大する話がでて、二人は上司から引き留められることになった。しかし、そのときはもう遅かった。転職先へ当方が出社する日が1ケ月後に迫っていた。ただし当方はルール通り6ケ月以上前に退職届を提出していた。
転職準備は1ケ月しかなかったが、ヘッドハンティングの会社から半年前に当方が希望したセラミックスとは無関係の会社を紹介されていたので、転職はスムーズに進んだ。しかし、パートナーは、半年間職探しをすることになったので申し訳なかった。
当方は、転職後も一年近く高純度SiCの事業のお手伝いをできるようにゴム会社近くの写真会社を選んでいた。当時の上司からいただいたこのお手伝いの状況を書いた手紙が、最近出てきて懐かしく思い出した。一年近く転職した会社に通勤しながら、サービス残業ではなく、無給でお手伝いの過重労働をしたのである。
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