2016.10/27 電車内で化粧をする女性
車内で化粧をする女性はマナー違反か、という議論が盛んである。きっかけは某電車のつり広告だが、その人の公衆の面前の行動がマナー違反かどうかは、その社会のメンバーが公衆道徳をどのように考えているかどうかに左右されると思う。
すなわち、車内で化粧をする女性はマナー違反かどうか、という議論は、男の立小便がマナー違反かどうか、という議論と等価である、と思っている。大半の男性の意識は進化したので、男の特権であった立小便の議論などばかばかしくてやらない。また、今は軽犯罪法に引っ掛かる扱いなので等価であるというのは乱暴かもしれないが、女性の電車内化粧と同様に、立小便が日常の習慣として見られた時代もあったのだ。そしてそのマナーについての議論がなされた歴史がある。
以前国民栄誉賞の受賞を断った野球人がいらっしゃった。その理由が”受賞すればその辺で立小便ができなくなるから”だという。最初は冗談かと思っていたら、実際にインタビューでそのように答えていたので感心した。すなわち、この方は立小便を法律違反だと解っていても男の本能として立小便をしたい、それで賞をけがすといけないので辞退されたのだ。いつまでも態度を明確にしないボブディランよりも潔い。
子供の頃、街の道路の脇には側溝があり、常時生活排水がむき出しの状態で流れていた。だから、その側溝で立小便をする人が多数いた。男性の大人や子供だけでなく、たまに老女がお尻をつきだしていた光景も目にした。日常皆が習慣でやっている光景は、進化した人類にはマナー違反と映っても無くならない。
当方は、それをマナー違反だと進歩的な親から躾けられた。だからそれを日常の習慣とする男性が多数いたとしても、当方は絶対に公衆の面前で立小便をしないと物心ついた時から固い決意をして生きてきた。しかし、街から側溝が消えても中学校にあがるくらいまで立小便の光景は無くならなかった。今でも強烈な記憶として残っているのが、高校生の時に、朝早く散歩途中の老女がお尻をつきだして立小便をしていた光景に遭遇してしまったことである。少なくとも50年くらい前は、立小便と言う現代の人類から見たらマナー違反と呼ばれる習慣が残っていた。
中国に行くと、今でも立小便をする大人や子供をみることができる。また中国人旅行者が子供に立小便させている光景を秋葉原で見かけたこともある。驚いたことに、お巡りさんは見て見ぬふりをしていた。中国ではどのような議論がなされているのかしらないが、立小便と言う習慣を良いと思っている人がいるようだ。
電車内の化粧もこれと同じである。もっとも電車内の化粧は高度経済成長末期の頃から、すなわち今から25年ほど前から増えてきたように思う。昔学生時代にボーイフレンドに隠れながら申し訳なさそうに化粧をしているOLを目撃したのが電車内化粧の目撃初体験である。ところが今や堂々と化粧をしている。香りの公害など気にせず、また他人の洋服を汚しても謝らない傍若無人ぶりである。
電車内の化粧は女性の社会進出とともに顕在化してきた習慣で、古くから伝統的に存在した立小便とは比較できない、と言われるかもしれないが、当方の目には老女の尻を突き出した立小便と同じ光景に見えてしまう。
マナー違反かどうかという議論の前に、電車の中で化粧をされている方は、男性諸氏に立小便と同様の視線を受けているということを意識していただきたい。少なくとも当方は女性の電車内の化粧をみると、老女の尻を突き出した光景とが重なり不快である。これは、偏見だと非難されても、そのように親に躾けられたのでどうしようもないトラウマのようなものである。楽屋裏を見る、見ないという次元の意味ではなく、それをみると立小便と同じように見えて不快な人がいる、ということを意識してもらいたい。
高校生の時に出会った老女は、あたかもゴキブリと遭遇したときのように凍り付いて身動き取れない当方に「おはよう」といってきた。それが習慣の人には、たとえ悪いマナーであっても、他人に大きな迷惑をかけているわけではないと、その人の中で正当化されているのだろう。
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