2016.12/14 専門とは、研究とは(2)
軟質ポリウレタンの難燃化技術開発の後、フェノール樹脂天井材の開発を担当することになった。最初の半年間は、筑波にある建築研究所で行われていた天井材の難燃性評価技術開発のお手伝いだった。
この評価技術開発については以前この欄でも紹介している。台所で起きた火災を研究し、新しい天井材の評価基準を見いだす作業だった。
このころ、高純度SiC新合成法の企画も自主的に進めていた。フェノール樹脂天井材の開発は、開発途中から、急速な市場変化に合わせるために事業部門とのコンカレントな進め方になった。
無機材質研究所留学前に、この仕事を無事完了させてSiCの研究に集中できるようになった。無機材質研究所では、半年間αSiC単結晶の異方性について研究し、研究をまとめることができた。
運が悪いのか良いのか分からないが、たまたまこの研究成果が出た頃に昇進試験の結果報告の電話が無機材研にあり、それがきっかけとなって、高純度SiCの合成法が研究テーマになった。
会社から先行投資が決まり、ファインセラミックスの研究棟がゴム会社に建設されて、無機材質研究所から留学途中で戻ることになった。そして10kg/日のパイロットプラントが稼働し、マーケティングが始まったところ、駄馬の先走りであることがわかり、6年間死の谷を歩くことになった。
この頃、高分子の難燃化技術者からセラミックス技術者に専門が変わっていった。この6年間には、高純度窒化ケイ素や高純度窒化アルミ、超伝導体、セミソリッド電解質、Liイオン電池用難燃剤、Liイオン電池のセラミックス正極、カーボン負極材、電気粘性流体、ECD、FRM、C-SiC繊維、SiC基切削チップなど研究所が扱っていた先端技術にすべてお手伝いさせていただいただけたでなく、独自の企画も併せて金属から高分子まで専門が一気に広がった。
但し、技術者としてのキャリアは、セラミックスの専門家であり、ヘッドハンティングの会社からはセラミックスの企業ばかり紹介があった。面白いのは、自分で登録したわけではなかったが、複数の会社から転職を促された。バブルの時代には先端技術者の獲得競争が活発に行われていたのだ。
今の時代では、一度断るとしばらくお声をかけていただけなくなるが、当時は断っても断っても引き合いがきた凄い時代だった。当時転職を考えた技術者は多かったのではないか。人材の流動性が叫ばれているが、このような時代を経験しても基本的には一つの会社で勤め上げることはサラリーマンの幸せの一つだと思う。
カテゴリー : 一般
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