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2016.12/19 専門とは、研究とは(6)

写真会社へは高分子の専門家として採用していただいた。看板に偽りがあることを面接の時に正直に申し上げたのだが、それでよい、と人事室長に言われた。

 

ただ、入社後は申し訳ないので、入社時にゴム会社で出会った先輩社員で大学教授なられた方を頼り大学へ通ったり、学会に出席したりして、高分子の勉強をした。社会に出て基礎化学を改めて勉強するにはアカデミアがふさわしいと思う。また、そのためにアカデミアが存在する。

 

この意味で、アカデミアが訳の分からない研究をしていても社会に貢献しているのであり、昨今の実学の方向に大学の研究テーマが流されゆく傾向に反対である。

 

福島原発の事故では、原子力研究者や技術者の力量が極めて低いことが露呈した。日本の原子力研究者は優秀だ、と反論する人が今でもいるが、福島の状況を見ていると大いに疑問である。

 

専門外の当方に任せていただければ、もう少し金がかからない方向で現状を改善できる。早い話が岡目八目で素人がわかるような当たり前の対策がとれていない状況である。

 

原子力の研究者は何を研究していたのか。原子力発電で最も重要な研究テーマは、安全な運営を可能にする技術と万が一の事故を想定した基礎研究であるはずだ。なぜなら大事故は環境を破壊し、人類存亡の危機を招くからだ。

 

時折福島のあれだけの事故でも誰も死んでいないことで安全だった、と言う人がいるが、ただ運が良かっただけである。もし運以外に死亡者0の原因があるのなら、それを真実として明らかにするのも研究者の役割である。

 

事故が起きたときに外部電源車両が到着してもコネクター形状が合わなかった問題や温度センサーが外されていた問題、補助電源が低い位置に置かれていた問題など明らかな人為的ミスが報道されながら誰も責任を負っていないだけでなく、なぜそのような状態だったのかというその後の総括も不十分である。

 

また、事故が起きて大変なときに専門家のトップリーダーであるべきN審議官の不倫問題が週刊誌で報道されるなど、科学倫理以前の問題などもその分野の専門家や研究者に対する不信感になっている。甘やかしによる原子力行政の結果と言えばそれまでだが、専門家とか研究者は、一般には理解できない高度な知識を扱う故にその社会へ及ぼす影響に対していつも責任を意識すべきである。

カテゴリー : 一般

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