2025.09/01 知と教養
知識労働者の時代、と言ったのはドラッカーだが、知識が身についておれば、教養人か、といえば、そうではない。このことに気がついたのは、最近である。
身に着けた知識の多さと教養の高さは異なるものである、と思うようになった。換言すれば、難しい問題を幾つも解けるのは、知識の多さであるが、だからといって、それが教養の高さに結びつかない。
教養とは、人生を豊かに楽しめる知の働かせ方も身に着けていなければならない。当方は難問を解くのが人生の楽しみであるが、これは必ずしも教養の高さではないのだろうと最近自分の学習姿勢を反省するようになった。
具体的に言えば、ギターが若いころの趣味の一つであり、今もそれが続いている。しかし、それで身についているのは、ギターという楽器の構造であり、それに使われる材料の知識や音楽理論であり、ギターを弾く楽しみは二の次になっていた。
教養の高い人であれば、ギターを弾いて楽しむところまで極めようと思うのかもしれない、これが当方の反省である。また、教養とはそのようなものかもしれない。
カテゴリー : 一般
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