2017.06/21 専門とキャリア(昨日の講演)
昨日セルロース液晶の講演を拝聴した。といっても、肝心のセルロース液晶の話は講演最後の15分程度説明があっただけである。おまけに前半は講師のキャリアが語られ、それが15分程度過ぎたときには、時間の無駄と感じた講演である。
しかし、講演を聞き終えてみると面白かった。それは、なぜ演者がセルロース液晶を研究するに至ったかが見えたからだ。そして演者がその新しい発見を今後どのように展開しようとしているのかも見えてきた。
昨日の講演の面白さは、演題よりもその中身であり、自然界の現象から新しい発見ができる人とできない人の差がどこから出てくるのかが説明されたところである。おそらくこれは演者の意図ではなかったかもしれないが、演者のレーザーの専門家としての深い知識と複数の職場環境を経験したことから形成された独自の知識体系で新しい発見をした体験が学生に伝承される様子まで語られていた(注)。
かつてπ型人間になれ、と複数の専門の必要性が叫ばれたりした。しかし、複数の専門性を身に着けるといっても人生という時間は限られている。一方で専門性は無くても面白い発明発見をする人がいる。これまでの人生で出会ったこのような人は、皆複数のキャリアと好奇心を持っていた。その中には好奇心はそれほどではなくても仕事の取り組みが前向きの人もいた。
同じ職場環境にいても仕事が前向きの人であれば、新しい提案や仕事の改善をしようとする。しかし、それは知識の積み重ねで仕事をより便利にしようとする方向にベクトルは向いている。すなわち、専門性の深化と同じである。
そもそも働く上において仕事に対して前向きであることは大前提であり、これだけで独創性のある新しい発見ができるのであれば世の中の進歩はもっと早いだろう。好奇心も同様だが、好奇心だけであれば不道徳の方向へ走ってしまうかもしれない。
昨日の講演で感じた大切な肝は、「知識」と「職場環境の変化」が生み出す独創性の一つの姿である。誰でも職場環境の変化に対して少なからずマイナスイメージを持った経験があるだろう。仮に栄転であっても職場環境の変化にある種の不安はつきものだ。
しかし、この職場環境の変化は、その人の持っている知識体系に少なからぬ変化を与える。すなわちこの変化を受け入れる柔軟性を持っているかどうかが独創性が形成されるかどうかの分かれ道だろう。
高い専門知識を持っている人でも、その話を聞くとつまらない人がいる。また、仕事をやらせれば知識の深さを感じさせる専門性の高い成果は出てくるが、それだけの人がいる。知識社会において専門性を高めたりそれを増やす努力だけではだめである。このような努力を続けてもやがてAIに負けてしまう。人間にできてAIにできない(恐らく飛びながらくそを垂れるカラスにもできない)ことは、柔軟な知識体系の再構築であり、それをキャリアの変化が促進し独創性を生み出すエンジンになるのだ。
やっかいなのは、その努力が自然にできる人が少ない。職場環境の変化や人生の変化、さらには多様性の受容などでその人独自の知識体系を再構築し続ける努力こそこれからの時代に必要である。ただしその努力の方法については残念ながら未だ良い方法が公開されていない。昨日の講演はその方法の一例が提案されていたので面白かった。
(注)大学でこのような先生に指導される学生は幸せである。
pagetop