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2017.07/23 涼・宮城

表題のCMが話題になっている。表現が低俗で問題だ、とTVで放映されたので確認のために見てみたが、思わせぶりの表現がいくつかあるが、当方の印象ではいやらしくはない。思わせぶりの表現をいやらしいかどうかという判断は、これを見た人が自らの経験を振り返りどこまで想像するのか、という問題だろう。

 

壇蜜には特に関心が無い当方はこのCMの騒がれる問題がどこにあるのか思わず考えてしまった。すると事前に特定の情報を持っていた人が見たとしたら、その特定の情報に基づく妄想を抱くかもしれないが、それは妄想を抱く人が特定の情報を持っているからであり、このCMが直接いやらしい表現をしているのではない。

 

TVで問題として紹介していた亀との対話でも彼に対して彼女が何かしているわけではなく、浦島太郎と同じように亀に乗って涼宮城に行きたいと言っているだけなのだ。このシーンであらぬことを考えた人は、頭の中を掃除するとともに、もっと良い方向へイメージを膨らますような習慣にした方がよい。当方はこのシーンを見て女浦島太郎のファンタジーを思い描いた。

 

しかし亀という言葉から他の事象を想像し、さらにそこで展開される姿を想像したならば、いやらしいのかもしれない。しかし、他の事象を描く習慣が無ければ、あるいはその情報を持ち合わせていなければ、かわいい亀とおばさんの会話である。仮に作り手の意図がいやらしい想像をしていたとしても、受け手にその想像をするための下地が無ければ伝わらない。

 

こうした問題は、研究開発で遭遇する現象を眺めたときに、自然が備えている階層をどこまで何を研究者が想像するのか、という問題とよく似ている。例えば先日から連載している界面活性剤の事例では、当方がホワイトボードに書いたモデル図から新技術が生まれているが、同じモデル図を8人が見ていて、ゾルをミセルに用いたラテックス重合のイメージまで展開できたのはたった一人だけであった。

 

もっとも当方はそのイメージを伝えたくて、ゾルをミセルに見立てた思わせぶりな、それこそ歪曲したモデル図を描いた。しかし大半の人は、科学という長年学んだ知識から軽蔑的にその図を眺めていた。たった一人、技術の視点に頭を切り替えて建設的に見てくれた人物がすぐに実験を行い、新技術を成功させた。

 

目の前の現象を見てそこから新しい機能を思い描くことができるかどうかは、イメージをどのように展開する習慣を身に着けているかに依存する。これは日々のOJTで訓練する必要がある。もし訓練を希望される方があれば弊社へ問い合わせていただきたい。

 

涼宮城で卑猥な連想をされた人は、日々の習慣を改めたほうがよい。例えば幼稚園児にこのCMを見せてもおそらくなぜ浦島太郎でないのか、という疑問と、お姉さんのキスで赤くなる銅像を笑うぐらいだろう。これは技術開発の経験のないアカデミアの研究者が現象からうまく機能を取り出せないことと似ている。

 

言葉は悪いが、技術者は現象から見出した妄想をもとに新技術を創り出している。壇蜜を単なるかわいいおばさんとみるか、妙な妄想で眺めるかは、その人の人格のようなものである。涼宮城を低俗とことさら騒ぐのは、妄想で機能を取り出してきた技術者の立場でいかがなものかと思う。

 

常に特定の自然現象からのシグナルに対してお決まりの科学的妄想を行い否定証明をするのではなく、モノづくりが出来る常に健全な妄想ができるよう訓練する必要がある。CMの放映中断を申し入れた議員団や女性市長が、あの映像から特定の妄想が描かれることを常識と考えているとしたら、日本人は皆作者同様の妄想をすると言っているようなもので国民を侮辱している。

 

あのCMで宮城ファンタジーを妄想できる人もいるのだ。女性市長は、むしろその方向で妄想を膨らませてほしいとか、健全な視点でCMを眺めてほしいといった談話をすべきだったと思う。誰もが皆いやらしい想像をしているわけではないので、女性市長の談話は壇蜜をいやらしく眺めることを容認した差別発言ともとれる。

カテゴリー : 一般

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