2018.03/28 忖度の技術
本日ブリードアウトについて書き始めたが、昨日のほとんど何も語らない森友問題の証人喚問の衝撃があり、忖度について改めて考えた。佐川氏の忖度は職務を離れても続いていたが、野党の質問があまりにもお粗末で、自民党丸川議員の佐川氏に配慮した質問が光った。
仕事の都合でインターネットに配信されている映像で確認したのだが、佐川氏は、良くも悪くもプロフェッショナルとして証言台に立っており、一部質問者の無能さをさらけ出すような結果となった。
恐らく佐川氏は、書類を書き直す直接的な指示を出していないと思われる。冷静に考えても、公的文書を書き直せ、などというバカな指示を出すような人に見えない(注)。ただし、間接的なパワーハラスメントがあったのかもしれない。そして、これは想像になるが、追い詰められた人が忖度して書類を書き直し自殺した、という構図だろう。
当方が高純度SiCの事業を6年間の死の谷を越えて、社長印をもらい住友金属工業とのJVとして立ち上げたのは、忖度以外の何物でもないと佐川氏の答弁を聞いて思い直した。
そもそも40年ほど前に社長方針として、電池とメカトロニクス、ファインセラミックスを3本の柱として事業を推進するといわれても、当時の研究所はファインセラミックスに対して具体的な貢献シナリオを描けなかった。
その背景で高純度SiCを提案し、2億4千万円の先行投資の決済を社長から直接頂き、スタートしている。その後、ファインセラミックス研究棟を電池事業に明け渡せとか、いろいろ研究所内で言われても、毎年社長訪問が研究所で実施されたときに社長が必ず研究棟まで足を運んでくださったのでJVまで持ちこたえた。
しかし、FD事件だけはまいった。解決の出口が無くなったのである。死ぬか生きるかの選択に等しい転職を忖度して選んだのだ。早い話が、組織で忠実にならんとしたときに、組織の責任者が誰も責任を取らない状態では、何もなかった状態を受け入れるしかないわけである。しかし被害者の立場で何もなかった、と忖度できるのは、一回だけの特殊な状況と我慢できる場合だろう。
財務省の自殺者の遺書に書かれた意味もそれに近い。おそらく、どうしようもない時に担当者が忖度して禁じ手をやった場合には、その後昇進できたのにそれができなかったから、というような意味が書かれていたという。忖度の連鎖がハッピーエンドに終わらなかったのが今回の事件の本質と思われる。
自殺された人に同情するが、業務上どうしようもできない時には組織を離れること、というのはドラッカーの遺言である。組織人として仕事をするときに、忖度をしなければいけない状況に一度はサラリーマンだれでも遭遇するだろう。
ただその結果が悪い結果として現れても決して死んではいけない。そっと組織を離れるべきである。当方は、1991年9月30日にゴム会社を退職し、10月1日に写真会社へ移った。年金手帳が写真会社に届いたのは、送別会が済んだ11月になってからである。ただし、高純度SiCの事業は今でも続いている。2011年3月11日という写真会社の退職日と同様に人生忘れることのできない思い出である。
(注)誰が考えても、状況によっては一つの答えしか選択できない場合が仕事として出てくる。そのようなときにドラッカーは「何もしない」というのも一つの選択であると語っている。すなわち、doで考えると一つの答えしかない場合でも、「何もしない」というもう一つの答えがある。ただ、この「何もしない」も選択できない、と考えるのかどうかは難しい場合はどうするか。もう組織を離れる以外にないのだ。責任者であれば辞職となる。我慢して居座るのも選択肢としてあるが、それが許されるのは、非責任者だろう。中間転写ベルトの開発では、外部からコンパウンドを購入していたなら絶対に成功できないことが、単身赴任してすぐにある結果として出た。センター長が8000万円の決済をすると決断してくださったので、子会社でカオス混合プロセスのプラントを建設し、業務を成功に導くことができた。リーダーの責任は、業務遂行において部下に忖度させるように迫ってはいけない。部下が仕事をやりやすいように決断してゆくのが優れたマネジメントである。
カテゴリー : 一般
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