2018.03/31 組織と貴乃花親方
日馬富士問題に端を発し日本相撲協会で起きていた問題は、貴乃花親方一人が悪者になって解決したようだ。日馬富士問題は、貴乃花親方がかたくなな態度をとらなくても最初に協会の隠蔽しようとした動きは組織で仕事をした経験のある人には知られてしまう。
池坊氏を議長とする外部委員会が十分な機能を果たしておらず、貴乃花親方を救うことも、また指導することもできなかった。貴乃花親方のここに至る一連の稚拙な言動を見れば、しかるべき人が彼を指導すべきと多くの常識人は感じたのではないか(注)。
貴乃花親方は組織に残りたいのなら最初の処分で行動を慎むべきだった。一方相撲協会は、貴乃花親方の一連の行動を問題として考えるならば本来追放処分とすべきである。どちらもおかしな判断をしている。暴力体質と隠蔽体質は、日馬富士問題の処理プロセスから見えてきたように、貴乃花親方の思慮の無い行動で問題の本質が隠蔽され改善されそうもない。
日本相撲協会は貴乃花親方の人気を捨て去る決断ができなかった。貴乃花親方は、いい年をして稚拙な行動しかとれなかった。実は、このようなおかしなことは、どこの組織でも起こりうる。ドラッカーは経営において健全な組織の重要性を述べているが、どのような組織がよいのか具体的なモデルを提示していない。それを考えるのが経営者の責任として宿題を残したような書き方をしている。
当方も組織人としてその振る舞いで正しい在り方にこだわりゴム会社を転職するに至ったが、それでも住友金属工業とのJVを立ち上げるまではおかしな組織で持ちこたえた。その時の体験では、社長はじめ多くのアドバイザーに恵まれたことが、事業成功まで至る一つの要因だったと思っている。
会社を辞める決断をしたときに、引き留める人がいても当方の判断を否定する人はいなかった。ドラッカーも指摘しているように組織の価値判断に個人が合わせられないときには、その個人が組織から離れる以外に選択肢はないのだ。
今では、例えばコンプライアンス重視という当たり前の価値判断が一般的で個人の価値判断が組織の価値判断と大きくずれることは少なくなったと思われるが、20年以上前は、全社にそれが浸透していない悪事が組織にはびこるような状況が稀に見られる時代だった。
貴乃花親方は、日馬富士問題が決着したときに組織を辞めるのか、あるいは自己の価値判断を組織に合わせる妥協の道を選ぶのか選択すべきだった。働く意味は貢献と自己実現であり、その両者が健全に満たされる組織が働く人の理想である。また、働き方改革の本来目指すべき方向である。
(注)貴乃花親方にアドバイスをできる人は少ないが、池坊委員長はその役割の一人であったはずだ。今回の貴乃花の腰砕けの妥協姿勢を見ると、うまくアドバイスしていたなら彼を救うことができたのではないかと思う。組織の中で人材が育てられるのか、あるいは人材を逃がしてしまう組織になるのか、さらには人材を殺してしまう組織になるのかは、組織の問題とともに有能なアドバイザーをそろえられるかどうかである。今回の騒動を見る限り、日本相撲協会の外部組織は、ほとんど機能していないに等しいだろう。単なるお飾りになっている。
カテゴリー : 一般
pagetop