2018.04/24 過重労働の思い出
時代の空気感を読めばこのようなタイトルはタブーだろう。しかし、ゴム会社在職中の12年間は、写真会社の20年間に匹敵するような仕事量をこなしており、今からこの時を振り返ると、やや時間の流れがおかしなことになっている。
例えば、1983年4月に無機材質研究所へ留学しているが、その前年には、建築研究所へ通った思い出がある。そして、建築研究所へ通いながら、とんでもない仕事量だったフェノール樹脂製難燃天井材の開発を行っている。
3人のチームで担当していたテーマだが、一人が1年間病欠したために大変だった。正しいマネジメントならば人員の補強をすべきだが、セラミックスフィーバーやLi二次電池開発の影響で、研究所として日陰のテーマ扱いにされた。
建築研究所が新しい難燃基準を策定するお手伝い項目として、評価サンプルの提供があり、これが大変な作業だった。しかし1年後には、新しい難燃基準に合致した新商品として他社に先駆け市場に投入できたのだが、今から思えば寝ていた記憶が残っていない。
1979年に入社し10月に配属されて3ケ月で樹脂補強ゴムを用いた防振ゴム開発に成功したときも時間的に見れば不思議なことだった。しかし、指導社員による午前中の1:1の座学で寝ていた記憶が残っているので、まだましだったのだろう。
この3ケ月間の座学でカオス混合はじめ、ゴムや樹脂の混練技術について基礎から実務まで学んでいる。睡眠学習である。
1980年から留学するまでの3年間は、ホスファゼンジアミノ体とそれとイソシアネートとを反応させたオリゴマーの開発を行い、ホスファゼン変性ポリウレタンフォームを試作まで行っている。その他、ホウ酸エステルの開発とそれを用いた燃焼時にガラスを生成するポリウレタンフォームの開発、高防火性フェノール樹脂天井材の開発、ドリップ型自己消火性ポリウレタンフォームの開発、おまけに高純度SiC前駆体の開発まで行っている。
ホスファゼン変性ポリウレタンフォームやホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームについては学会発表や論文発表を行なっているが、この準備時間も大変なことだったと思う。
またこの間に、JIS化される前のLOI燃焼試験法の改良を行い、社内の改善提案賞の社長表彰を受けている。その他、熱重量分析のデジタルデータ収集プログラムの開発も行っている。
まだ8ビットコンピューターの時代にAD変換ボードを使いデータをデジタル化しただけだが、プログラミング時間を考えると驚異的である。そして今廃棄しようとして事務所の隅で数多くの箱詰になっている写真は、独身時代に友人が休日に誘ってくれたテニスの思い出である。入社してからの4年間だけでもその成果を出した仕事量と遊び時間を考えると、いったいこの頃はいつ寝ていたのか不思議に思う。タフだった。
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