2018.06/24 定年を迎えたら何をしたらよいか
組織社会では組織で働ける年齢に制限を設ける必要がある。そうしないと組織の新陳代謝ができないからだ。すなわち、定年は組織社会において宿命である。ゆえに今社会全体で考えなければいけないのは、人間の寿命がこの定年の年齢よりもはるかに長くなったことである。
そこで、定年者を有効活用する企業がTVで話題になったりしているが、有効活用できる定年者が少ない、あるいは本来そのポテンシャルがあるのに有効活用されていないといった問題がある。もしこの問題に関心があるならば弊社に問い合わせていただきたいが、定年を迎えるサラリーマン個人が今すぐ取り組むべきことがある。
それは、サラリーマン人生の棚卸である。運よく出世できた人も出世できなかった人もこの棚卸を行い、自分の価値を自分でまず評価することである。そのとき組織における自分のポジションから評価してはいけない。自分の価値をいつから意識し、それを高める努力をどれだけしたかについて評価してほしい。
定年まで一つの会社で無事働ける立場にあったなら、それだけで必ずその人には何か価値があったはずである。自分の価値を勝手に決めて組織の仕事をまったくやらず会社に来て本だけを読んでいた人物を偶然部下(このような人物でも日本ではクビにできない。会社の上司を自由に選べないが、転職では部下を自由に選べないので注意する必要がある)に持った経験から言えるのは、日本の多くの組織は個人が希望し努力すれば自己実現を実践しやすい社会である、ということだ。だから自己実現努力を正しく自己評価できれば自分の価値を判断できる。
何も自己実現努力をしてこなかった、というサラリーマンは日本の社会では少ないはずだ。ただしその努力の仕方や量には個人差があるかもしれないが、ささやかなことでも良いから自分はこの点については少し努力してきた、という点について自己採点することが大切だ。
この自己採点で定年後の人生をどうしたらよいのか見えてくる。自己採点結果が全くダメでも、そのダメなところに気がつくことが残りの人生に生きてくると思っている。人生は生きている限り、死ぬまでやり直しができる。
ただやり直しの努力において加齢により生じる苦労は若い時の想像を越えるが、苦労を味わう術は若い時よりも長けているはずなので、その気になりさえあればどのようなことでもチャレンジできる。
問題は苦労を人生の中で楽しみとして捉えられるかどうかである。ただしこれはサドマゾの世界ではない。いつまでも苦労を越えたところにある夢を見ることができるかどうか、という点である。
例えば、定年後の再就職を給与の額面で決めてはいけない。このような棚卸で見えてきた自己の強みで再就職先を決めるのである。
再就職先では若い人材以上に厳しい評価をして採用しているはずで、担当する仕事や役割は明確である。そこで改めて自分の目標を設定し働くのである。
亡父は晩年体が動く限り、郵便局で働いていた。元警察官だったので十分な年金があったはずだが、交通費程度しかもらえないあて名書きの仕事をしていた。
たまに名古屋へ行ったときに郵便局の屋上から垂れ下がる垂れ幕の達筆な字をみつけると亡父によるものだったが、それで手当てをもらっていない、と笑っていた。「字を書くこと」ただそれだけに働く意味を見出したのだろう。未だにくぎの折れ曲がったような字で満足している当方にはおよそ勤まらない仕事である。交通費と給与が支払われる仕事につまらない仕事は無い。
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