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2018.07/12 知識(9)

街の本屋が減少し、心配していることがある。昔は本屋の立ち読みという行為が知識人の習慣だった。それについて書かれた随筆を読んだ思い出もある。誰が書いた随筆か忘れたが、小林秀雄が出てきたので、そのような時代の人だ。

 

そこには、文系の視点で知識について書かれていた。学生時代に受講した哲学の授業では、講師の著による「知の歴史」を読むことになったが、講師も立ち読みを勧めていた。この授業では居眠りをしがちだったので、要所要所をよく覚えている。

 

授業中の居眠りは先生に対して失礼な行為であるが、真剣に聞いていると眠くなる講義があるということも事実である。先生に申し訳ないと思っていても意識が遠くなる。眠ってはいけないと緊張すればするほど眠くなる。睡魔は良心とは無関係に襲い掛かる。

 

客員教授をしていた時に、2日間の集中講義をしていたが、半分近くの学生は睡眠学習状態だった。講義の最初にレポート提出と知らせたためと思われるが、当方は睡眠学習の手助けをするように努めた。

 

すなわち、講義の途中で寝ている学生の横に行き、質問するのである。これは効果絶大で、クスクスと笑い声がして教室全体が明るくなる。この時肩をたたきながら、睡眠学習の手助けをするぐらいの気持ちで優しく質問するのがコツである。

 

話がわき道にそれたが、学生時代の講師も大学生協での立ち読みを勧めていた。人生少しでも多くの書に接するという経験知は重要だと言っていたが、この年になってみると確かにそうだと言いたくなる。

 

街の本屋が無くなるとその機会も減少することになる。インターネットで情報が簡単に入手できるようになったので本屋が不要になるという因果関係は少しおかしいと思っている。ネット情報でも知識になるが、何か軽薄さを感じるのは当方だけだろうか。

 

中にはダウンロードして、必要ならばハードコピーを読めて、書物と変わらない情報としてそれを提供をしてくれるサイトもある。また学位論文にベタコピーしてもその学位論文が審査に通るくらいのレベルの情報もインターネットに存在する。ゆえに本屋など不要かもしれないが、一冊の本の重みをインターネット情報からは感じ取ることができない。この感覚は何だろうと思う毎日である。

カテゴリー : 一般

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