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2018.07/30 企業のリスク(1)

経営に関わる日々の会議では、形式通りの議論で当たり前の発言がなされ、それでおしまいとなる。また、技術開発の現場において、部門間の調整会議でも同様の光景が見られる。計画通り業務が進んでいる場合には、これで良し、と考えておられる方が多いためだろう。

 

逆に、少しでも異論を唱える様な人物が現れたときには、異論がおかしいことを指摘し、当たり前の見解をロジックでつなげ、異論の真意を考えることなくそれを封じ込めたことで悦に入る管理職もいる。

 

しかし変化の激しい今日において、当たり前の発言だけで会議が終わっている状態はリスクが高まってゆくと警戒しなくてはいけない。ロジックの正しさよりも、その報告内容によく耳を傾けなくてはならない。

 

例えば、昨年暮れから品質データの改ざんや無資格検査員による車両検査の問題が相次いだ。事件の内容から考察すると、現場担当者が自分だけの判断で実施したとは考えられない。必ず係長クラス以上まで問題が提案されるなり、少なくとも上位職者との相談がなされていたはずである。

 

無資格検査員に至っては、人材配置の問題も関わるので、部長クラスまでその問題を把握していた可能性が高い。部長クラスまで関わっておれば会社ぐるみと指摘されても申し開きができない状態であり、そこで社長の謝罪会見に至ったのだろうと思う。品質データの改ざんも同様で一回や二回ではなく常態化していた体制があったのだろう。

 

大会社で働いた、あるいは少し大きな組織で働いた経験があれば、このような問題が起きる原因を容易に推測できるだろう。しかし、それ以外の方には、どちらかといえば信じられない事件かもしれない。

 

大きな組織になると業務がルーチン化されているケースが多い。ISOなど取得しておればそれに準じて業務が行われていることが原則になり、少し小さな異常が発生したぐらいでは是正措置が面倒になる。その結果、阿吽の呼吸を生みだす土壌ができる。

 

あるいは、異常を異常と報告しない忖度ができることを有能と評価するようになる。阿吽の呼吸はマニュアルに書かれていないから、熟練者が大量に退職したときにその呼吸に乱れが生じる。また、忖度は記録として残らないから伝承もされない。

 

団塊の世代が大量に退職した、まさにその時一連の謝罪会見が行われているのだが、原因をそれだけで捉えていたならば、今後も同様の謝罪会見をしなければいけない可能性が高い。阿吽の呼吸が生まれる土壌そのものを改革しなければ根本的な問題改善にはつながらない。

 

1980年以降ロジカルシンキングやビジネスロジックなどの研修がもてはやされ、会議も含めた会話はロジックで行う習慣ができ、ロジックに間違いが無ければそれでよし、という冷静に考えればお粗末な習慣で日々の経営なり運営がなされている。

 

ところが、このような習慣が阿吽の呼吸と同じリスクを抱えていると捉えなければいけない時代になった。換言すれば、ロジックが普及した結果、ロジックから外れた提案なり問題をリスクとして捉える感覚が鈍感になってきたのだ(続く)。

カテゴリー : 一般

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