2018.08/05 研究者を目指す人へ(2)
昨日コアシェルラテックスとゾルをミセルに用いたラテックス重合技術の話を書いた。前者は科学的に推論を進めて容易に合成できるが、後者はその現象を発見して生まれた技術、あるいは技術者が非科学的に行った実験で繰り返し再現性が確認され技術として実用化された事例である。
世の中の技術がすべて科学の力で生み出された成果と誤解している人が多いが、実は科学誕生以前から人類は後者のような技術を開発してきたのだ。だから世の中の科学技術は、科学の力で生み出された技術と、技術が生み出されてから科学的にその機能が考察された技術の両者が存在する。
後者については、科学で考察されなくても繰り返し再現性があれば十分に実用化できる。ただ技術を品質保証しようとすると、現代は科学的品質保証が推奨されるから科学で考察する必要が出てくる。
せっかく科学で考察を進めても、現場のおやじが鼻くそを丸める様な感覚で数字を丸め一丁上がりとやっている場合もある。測定で得られた数字を丸めている間は良いが、鼻くそとの区別が分からなくなって適当に書き始めるようになると捏造である。
数字を捏造した品質データでも問題が起きないことを経験すると、それが経験知として獲得され捏造が常態化する。もし世の中の技術がすべて科学で成り立っているならば、真理は一つであり、品質規格から外れた半成品を用いた次工程ではエラーが起きるはずである。
ところが、科学技術を創り上げていく過程で、昔ながらのKKD式技術開発手法を意識せず人間は取り込んでゆき、その結果非科学的な適当な経験知が許容される技術ができる。昨年末から今年にかけてメーカーの捏造や適当な品質検査が行われてその会社の社長の謝罪会見が行われたが、後工程において問題が起きたというニュースはその後報じられていない。
科学的にすべての技術が創り上げられているならば、このような場合にどこかでエラーが起きなければいけないが、非科学的な要素のところにおける前工程のエラーの場合には、後工程でそれを適当に回避する経験知を用いることにより問題解決してゆく。
ゆえに謝罪会見直後に後工程のメーカーから捏造データであっても品質に問題ない、という発表ができるのだ。もしこれが科学で厳密に制御された営みにおける事件であったなら、後工程で問題が起きなければいけない。一連の捏造事件は、技術が科学の世界だけで作られていないことを証明した事件でもある。
技術分野における人間のこのような営みの存在を研究者になる人は学んで頂きたい。研究では科学が唯一無二の哲学となる。しかしその科学は人間の営みの中で鼻くそほどの地位しかないのだ。だからと言って人類は科学を軽視しているのではない。ボーっと生きていて、すなわち科学を意識しなくても生活ができる、という意味である。
時として、その存在が気になったときには無意識にほじりだして捨てることも厭わないのである。これは中小企業の現場だけでなく、日本を代表するような企業においてでもそのような状態、というより営みである。だから声高に科学を称賛してきたのである。
ところで技術者はボーっとしていても技術開発ができるが、研究者が科学の僕となるのを忘れたときに、STAP細胞のような騒動が起きる。研究者は科学の倫理と論理を十分に理解しその枠内で活動することが求められている。科学を追求する研究者という職業は、技術者のような自由な営みが許されない世界なのだ。
カテゴリー : 一般
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