2018.09/30 貴乃花親方の騒動
貴乃花親方の提出した書類が退職届ではなくて引退届だったので受け入れられない、と相撲協会から発表の後、貴乃花親方側は粛々と廃業の準備を進め、昨日は講演会の方たちとの送別会が行われたという。
相撲協会側の慌てぶりが見える。サラリーマンの場合には、業務引継ぎなどを行う必要から退職の半年前に退職届を出すことになっている会社が多いが相撲協会のルールはどうなっているのだろうか。
また貴乃花親方は、記者会見で組織にいじめられていた報告をしているが、相撲そのものに対する不満を述べていない。むしろ弟子たちを思いやった言葉を述べており、そのあたりを中途半端だと指摘される方がいるが、当方は貴乃花親方の「本当はやめたくないが、今の組織体制では辞めるという選択しかない」という気持ちがよくわかる。
当方は二つの会社で退職願いを出しているが、ゴム会社には38歳の時であり、写真会社には56歳といずれも世間の常識からは中途である。いずれの会社も理由があったので中途であるが、後者は55歳から権利ができる早期退職制度を使い円満退社である。
すなわち、55歳になったところで担当部長という役職であり、ゴム会社では55歳役職定年にあたるので早期退職制度を使い辞めることを考え、役員と人事部に相談した。役員から環境対応樹脂の進め方の相談を受けたので、それを最後の仕事にしましょうということになった。
人事部は事務的に、定年では誕生日月となるが早期退職制度では3月と9月が退職日となります。どちらを選択されても、57歳で辞められるとちょうど20年です、と伝えてきた。そこで2011年3月11日を最終日と決めて直属上司に退職日の報告をしたら、早期退職制度では引き留めてはいけないルールなので残念だ、ともったいない言葉を頂いた。
当方も会社が嫌で辞めるわけでなく、ゴム会社で入社面接のときに社長になりたいと応えた思いを実現したいので起業することを伝えた。ゆえに写真会社は円満な早期退職であり、退職日には最終講演を2011年3月11日15時から準備していただいた。
ゴム会社の退職状況は貴乃花親方と似ており、それゆえ貴乃花親方の引退における一連の行動や無念の気持ちがよくわかる。もし協会内部でいじめが無ければ彼は退職という選択をしなかったと思われるし、協会のリーダーになる夢を持っていただろうと思う。
退職届ではなく引退届を出しているのもその表現のつもりだろう。彼は相撲を退職する気持ちは無いのだ。当方もサラリーマン研究開発職を辞める気持ちは無く、一方で高純度SiCの仕事を推進したセラミックスのキャリアからくる制限で高分子材料の研究開発を行える写真会社への転職を一年近く前に申し出ている。ただし、転職マニュアルに沿い会社名は伝えていない。
上司からは転職先を言わなければ退職届を受理しないとか、提出した退職願いは会社の所定の形式ではない、とか当初貴乃花親方状態だった。また、カーボンを製造している子会社の見学やらいろいろと会社に残る道を提示してくださり、遅々として退職手続きが進まなかった。
挙句の果ては、それまで一人で電気粘性流体と高純度SiCの住友金属工業とのJVの業務を担当していた状態を改善し、10名程度のプロジェクトの話が持ち上がった。ちょうど湾岸戦争がはじまったころである。
煮え切らないまま日々が過ぎたが、写真会社から10月1日までに入社すれば年末のボーナスを支給すると言われ、ゴム会社から年金手帳など退職の手続きが順調に進行しておれば頂ける書類一式を頂けないまま転職している。
当方が提出した退職届の日付は半年以上前であり、一応サラリーマンとして手順に則っていたが、すっきりしない退職だった。それでも転職した理由は、貴乃花親方の置かれた境遇と結局同じだったからである。
創業者の理念にあこがれた会社であり、その方針に沿って新事業を起業し、決して中途で退職などしたくなかった。また会社への悪い印象は持っていない。しかし研究所の組織風土があまりにも会社全体の風土と体質とは異なりすぎていた。
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