2019.10/11 内容のない発言
9月22日(現地時間)に進次郎氏が国連で「気候変動のような大問題にはセクシーに取り組むべきだ」などと発言したことがきっかけで、WEBでそのまねをする風潮が現れた。
中には、その言葉特集を行っているサイトもある。また、「大喜利」と称して競って彼が言いそうなフレーズを取り上げているところもある。
その中の「年末年始。年の瀬。師走。こういう言葉を聞くたびにね、いつもこう思ってきました。もうすぐ新年だな、と」には、笑ってしまった。
この手の内容のない発言は進次郎氏に限ったことではなく、多くの人が日常接していても、それを批判しない。
ゴム会社では少なかったが、写真会社では多かった、というように社風とか土地柄、国民性も内容のない発言を許容することと関係しているのかもしれない。
一言何か言わなくてはならない役目の人が、周囲に慮って無難な発言をすると、皆進次郎発言のようになる。
当方は内容のある発言を具体的にする傾向があるので、時としてその内容が、真実かもしれないけれどとか、その内容を実現できるのかなどと逆に問題として取り上げられたりした。
例えば、退職前に担当した中間転写ベルトの開発では、「コンパウンドを新たなコンセプトで開発しなければ、このテーマは実用化できない」と初めて出席した挨拶として明確に言ったところ、部下の課長はじめコンパウンドメーカーの担当者まで、会議に出てくるな、という大合唱がおこった。
いくら真実であっても、その真実についてあらかじめ根回しとかされていないと、それを否定してくる。それでは、否定をしている人が代案を言うのかと期待していると、現状維持の内容のない発言しかでてこない。
その経験から進次郎発言については、内容のある発言は銀、内容の無い発言は金である、ととらえている。
内容のある発言は、その内容が共有化されてからするのが無難であり、率先して発言すればその内容が斬新であれば斬新であるほど誰かにたたかれる。
(注)コンパウンドメーカーとの打ち合わせでは、影響力の強い真実の発言となった。ただし、TPOをわきまえなければいけないことを十分に理解したうえでの発言である。開発期間も十分にない状況では、手遅れとなることが一番の問題だったので、内容の濃厚な発言となった。このように内容のある発言が、いつも良い結果を招くとは限らないし、内容のない発言で先送りしていては、何も問題解決しない。ちなみに、「会議に出てくるな」の大合唱に応えて、数年間行われてきた他社とのプロジェクト会議など当てにせず、新たなコンパウンド工場を計画しプロジェクトを成功させた。その結果、コンパウンドメーカーは市場を失った、という結末である。リーダーにはプロジェクト全体を成功に導く責任がある。新参者でも軽く扱うべきではない。
カテゴリー : 一般
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