2020.04/18 正しい問題
先週からPCR検査を増やせコールが盛んになり、今週にはノーベル賞学者からもPCR検査を徹底して行えとのメッセージが出された。
以前この欄では、PCR検査の信頼性などの問題から重症患者を見つけ出すために対象を絞っているのではないかと書いた。昨日感染症に関する二つの学会からPCR検査について次のような見解が出された。
「検査対象を改めて「入院治療の必要な肺炎患者で、ウイルス性肺炎を強く疑う症例」と規定。同時に「軽症患者」に対しては、現状の帰国者・接触者相談センターを介した検査体制の中では「基本的にPCR検査を推奨しない」と明記した。」
以上は昨日の時事通信社の記事をコピペしたものだが、感染症の専門家はやはり今でもPCR検査をやたら行うことに反対のようである。
理由は、重症患者を救いコロナウィルスによる死亡者を少なくすることが重要なゴールであり、そのために軽症の感染者まで入院させていては医療崩壊の危険があることを危惧している。
一方PCR検査を増やすことを主張している人の言い分は、感染者を早く見つけて隔離することに着眼している。すなわち解こうとしている問題が異なるために異なる答えが得られている状態だ。
今回のコロナ問題で最も重要なのは、やはり感染症学会が解こうとしている問題「いかにして医療崩壊を防ぎ、重篤な患者を早期に見つけて治療し、死亡者を減らしたらよいか。」だろう。
一方、「感染拡大を防ぎ、早期に感染者のピークを終わらせるには」という問題の解答は、「PCR検査数を増やして感染者を早期に見つける」ことも正しいのかもしれないが、もう一つ「行動変容」という解答があることを忘れてはいけない。
また、軽症の感染者の中にはそのまま完治して陰性になる感染者もいることを忘れてはいけない。コロナ感染の騒動では、正しい問題を考える、とはどのようなことかを学ぶチャンスである。
ドラッカーは、名言「正しくない問題の正しい答えとはいかなるものか」とか、「頭のいい人ほど成果を出せない。それは、すぐに問題を解き始め、正しい問題を探そうとしないからだ。」と、正しい問題を探すことの重要性を指摘している。
その時に二律背反となる問題が二つある場合には、科学的に解くことができなくなる。その時には人間の自然な営みの中で最良の選択をして正解を求めることになる。必ずしも論理ではないのだ。倫理も考えなければいけない。
すなわち、死亡者を少しでも少なくする、という解答を正しくないと否定する人はいないと思う。
(注)企業の開発を担当している人の中には、担当していない人たちがそれぞれの立場で、意見を述べられることに辟易されている人が多いのではないか。姑、小姑のから騒ぎ、と表現される方もおられる。その時一度立ち止まり、自分が解こうとしている問題と、周囲の人たちのアドバイスが出てくる背景となっている問題を考えてみるとよい。もし、これが一致していたなら、次に自分の考えが正しいかどうか謙虚に考え直す作業が必要である。大抵は、自分が解こうとしている問題と周囲が考えている問題が一致していない場合が多い。なぜこのような場合が多くなるのかというと、開発対象を見る視点が違うからである。ドラッカーは、「異なる見解は、異なる問題から生まれている」と表現している。ゆえに姑や小姑がうるさいようであれば、自分が考えている問題について、彼らに丁寧に説明する作業が必要になる。
カテゴリー : 一般
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