2020.05/13 小田垣孝先生の論考に思う
5月8日に表題のコロナウィルス禍に関する論考がWEBに登場したかと思ったらワイドショーでも取り上げられるようになった。今日の情報拡散スピードの速さと国民の知識欲求の高まりには目を見張るものがある。
小田垣孝先生は、パーコレーションの研究で有名なスタウファーの著書の翻訳者として知られる先生である。2冊ほど先生の著書を当方は所有している。
さて、この先生、もう少し日本のウィルスバスターに気を使ってほしかった。ワイドショーの扱いはあたかも日本の専門家会議の仕事の進め方が間違っている、と言わんばかりの勢いである。
この先生の言い分は、感染症について当たり前のことを言っているだけであり、全体を俯瞰されて、特に保健所を中心にした日本の独特の公衆衛生システムまで考慮されての発言ではない。まずそこを十分に理解して論考を読むべきである。
昨日のお昼のワイドショーにおいては、先生の論考がPCR検査をどんどんやりましょう、という現在のトレンドに勢いをつける様な扱いをしていた。見ていて吹き出しそうになったが、8割おじさんがあれでは浮かばれない。
おそらく8割おじさんも小田垣先生のような考察をされていると思うし、またこれまでの発言内容を聞いていると、どんどん隔離するようなことができないので8割行動変容により、まず感染者増加を減らしましょう、と言っているのだ。
感染者や疑わしき感染者をどんどん隔離すれば、感染者が減り、通常の社会活動ができるのは当たり前である。科学的に考えて当たり前のことを小田垣先生は述べられているに過ぎない。
以前この欄にも書いたが、今回のゴールは医療崩壊を防ぎ死亡者数を最小にすることにある。未知のウィルスで日本人が死の恐怖に晒されている状況で必死で立案された戦略は、一応の成果をあげたのである。そこをまず理解し、評価できる社会でありたい。
科学的に考えて当たり前の発言は、科学者ならば誰でもできる。難しいのは、当たり前のことを実施できない状態において、どのようにゴールを実現してゆくのか、という、当たり前ではない提言である。
以前電子ブックで「なぜ当たり前のことしか浮かばないのか」を執筆した。電子書籍を閉じた今、再度出版できないか考えている。
世の中、科学的に導かれる当たり前のアイデアですべての問題を解決できたなら、大変楽である。それほど世の中は甘くないので、人間の営みに寄り添ったアイデア創出法が重要になってくる。
山中先生だってあみだくじ方式でノーベル賞を受賞されたのだ。科学的に問題に取り組むだけでなく、柔軟に問題に接しそれを解決することが大切であり、その方法にはコツがいる。そのコツを身に着ければバカの壁をハリーポッターのようにすり抜けることができる。
(注)PCR検査法は信頼性が低く、陽性を陰性と評価するエラーが起きたときに、この陽性者は陰性のお墨付きを得たことで社会にウィルスをまき散らすことになる。そもそも小田垣先生が主張されている感染者をどんどん隔離せよ、とはこのような感染で病気が広がる問題では当たり前のことなのだ。その当たり前のことができない状態なので、日本のウィルスバスターは、ゴール実現に向けてクラスター対策を行ってきたのだ。
カテゴリー : 一般
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