2013.08/12 科学と技術(20)
1ケ月という短期間で実際に商品を作り企画書をまとめる、というのはかなりきつい仕事である。技術開発と言うよりも瞬間芸的開発という表現が似合う。あれこれ調査している時間など無い。身につけている技術で芸をする感覚である。上司は指示を出すだけなので楽であろう、と思っていたが、そうではなかったようだ。担当者がいる会議の席ではあまり厳しい意見はでないが、管理職だけになると結構厳しい意見がでて胃が痛くなる、と上司がこぼしていた。
6年間一人でSiCの仕事を抱えていたときに、一時期上司は半年から1年で交代していた(注)。その上司の中で思い出に残っているのは基礎的に丁寧に仕事を進めた上司である。上司になる前の仕事ぶりは、参考になりそうだったので注目していたが、上司になったとたん大変なことになった。技術データ以外に、技術のよりどころを示す科学の基礎データまで要求されるのである。すなわち、科学に基づく技術開発を忠実に追究し、科学的ではない技術を認めない姿勢であった。
切削チップの開発では、超微粒子分散型の構造で靱性を上げる材料設計にしたが、仮説から始まり、その強靱化機構のメカニズムまで示すデータを要求された。1ケ月という短期間に商品まで作らなければいけないのに地獄である。時間が無い、という議論をしても時間の無駄で、科学的データを出す必要があった。困ったのはなぜ超微粒子が分散した構造になるのか、という科学的説明である。
思考実験ではできていたが、世の中の情報もデータも無いので風が吹けば桶屋が儲かる式の説明しかできない。そんな説明では、女子学生より甘い、と本部長に言われますよ、と「叱咤激励」された。今ならパワハラセクハラ表現で就業時間を越える仕事量を要求するブラック企業と騒がれるような状況だが、当時はそれが「叱咤激励」という言葉に感じる時代であった。ちなみに女子学生より甘い、とはその上司が本部長から本当に言われた言葉らしい。研究所で「迷言」として噂になっていた。
当時女子学生は、古くは11PMの時代から中年のあこがれの対象であり、それがゴールデンタイムに持ち込まれ、テレビ番組の低俗化がはじまった。そしてこれがバブルのはじける直前に流行したお台場のディスコにおけるお立ち台フィーバーにつながってゆくのだそうだ。お堅いNHKもサイエンスレーダーに慶應大学女子学生宮崎緑氏を採用し女子学生ブームに便乗していた。その後セラミックスフィーバーを特集したNHKの「日本の先端技術」という特番で彼女は司会を担当し世の中をさらに熱くした。50周年を迎えたゴム会社ではこのビデオが連日社内で流された。
科学の歴史は論理的必然性の歴史ばかりではなく突然変異的な発明や発見により発展する場合もあるが、一応のつながりは存在する。しかし、社会風俗の変化には理解できないところが多い。それでも風俗評論家は科学史以上にその流れをうまく説明する。そんな風俗史のもっともらしい説明を聞くと、逆に科学の歴史が人間の営みそのものであるように見えてくる。すなわち自然の美と豊かで便利な生活にあこがれる欲望の歴史のように見える。錬金術師から化学が生まれた逸話は今の日本経済の状況で化学の果たす役割の大きさを再認識させる。
おそらく本部長はそのような当時の風俗を取り込んだ冗談で使われた表現だろう。それほど厳しく捉える必要はない、と思ったが、上司は納期もマンパワーも考えず真剣に科学的データを迫ってきたので大変に困った。タグチメソッドもどきで狙ったとおりの構造はできた。しかし、それがどうしてできたのか、当時の科学論文を探しても見つからなかった。これでは女子学生よりも古い錬金術師と同じ発想と言われかねない。
<明日へ続く>
(注)上司が交代していたのか、担当者がたらい回しされていたのか不明である。高純度SiCのテーマは継続しており、0.5人分のパワーを裂いていた。残り0.5人分の仕事のテーマで上司が変化していた。実験室と居室は先行投資で建てて頂いた研究所にあったので6年間同じ場所で仕事をしていたが、退職してから冷静に考えるとサラリーマンとしてきつい状態だったのだろう。しかし、研究予算も潤沢にあり給与は毎年増えていたので、会社と自分を信じ業務を進めることができた。
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