2013.08/17 科学と技術(25)
大学の非常勤講師はある意味悲しい役割である。教育者としての役割や研究者の役割はあるようで無い。特別講義は単位をもらえるものだと学生は期待して参加している。大学の先生方ができない授業をしようと意気込んで準備をしても、学生は前が空いていても後ろへ集まり、授業が始まればスリープモードへ。
2000年頃から少し雰囲気が変わり前の方にすわる学生が出てきた。出身地を尋ねると日本ではない。皆留学生だ。すなわち日本の学生は後ろへ座り、留学生は前の席に座って講義を聴く状態で中央に聴講者はいない、まるでダイスウェル効果の大きい樹脂にカーボンを分散し押し出したときの樹脂の断面写真のようだ。
変化は着席の様子だけでなく、講義終了後に質問が届くようになったことである。質問は講義終了直後の時もあるが、自己紹介の時に記載したアドレスへ電子メールで来る。しかしこの質問をする学生も皆留学生だけである。うれしいのは授業を熱心に聞いていてくれたことが伝わるメールがあることだ。今まで聞いたことがない授業で大変参考になった、別の話を聞きたい、などと書かれていると、メールの返事にも力が入った。
講義では必ず科学と技術の話を入れる。科学の無い時代でも技術は進歩した話だ。科学はその進歩を加速したが、必ずしも順調に速度アップしてきたわけではないことを話す。イノベーションの波が大きな進歩をもたらしたこと、イノベーションを起こすために不断の努力が必要なことなど話す。「マッハ力学史」がネタ本だ。
日本人には受けないのだが、留学生にはこの話がうけた。恐らく授業に臨む意識が異なるのだろう。授業中に寝ている日本の学生を叱りたいが、非常勤講師の立場では難しい。せいぜい近くまでいって、反省を促す程度のことしかできない。熟睡をしているわけではないので疲れて寝ているわけではない、と思う。講義がつまらないから寝ているのである。しかし、そのつまらない講義でも、留学生には歓迎された。
客員教授や非常勤講師の経験は技術の伝承を考えるのに参考になると同時に魅力的な授業を考えることで自己の成長にも大変役だった。しかし、スリープモードに入る学生には申し訳ないことをした、という思いはある。教師には「いつやるか」「それは今でしょ」というようなスキルが求められている時代なのだろう。
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