2013.09/03 科学と技術(42)
科学の方法論に関しては学校教育で学ぶが、技術の方法論についてはメーカーのOJT以外に学ぶ場所は無い。
技術の方法論については、成果をあげた技術者の数だけ存在する、と思われる。そのなかでKKDは比較的古くから存在するコンセプトであるが、これを軽蔑する人と重視する人とに分かれる。
「勘と経験と度胸」の頭文字を取ったKKDは、うまくいく場合もあるから軽視できない。しかしKKDだけではいつでもうまくいくとは限らない。だから意見が分かれる。科学の時代の今日では、科学的ではない、という一言で片付けられることもある。このKKDだけでもその価値について充分議論できるぐらい技術の方法論について考え方は多様である。
田口玄一先生は技術の方法論に一つの具体的な解を出されたが、肝心な基本機能の見いだし方を技術者の責任としてぼかしたままこの世を去られた。また、システム設計を科学的研究の成果として見いだすことを推奨されていなかった。研究を行う対象はあくまでも基本機能について、である。基本機能が見いだされれば、技術開発をタグチメソッドでできる。しかし基本機能を見いだすにはどのように行ったらよいのだろうか。
田口先生と議論していて面白かったのは、基本機能として科学的成果以外も認めておられたことだ。KKDの成果でも容認して頂けた。田口先生はタグチメソッドだけを教える立場だったから、という理由ではない。田口先生はそのような方ではなく大変教育熱心な方であった。
技術者が提案した基本機能に関して真剣に議論してくださった。その意見は、抽象的ではあったがシステムについて専門家ではないにもかかわらず的確な指摘をしていた。そしてそこには一つの哲学が明らかに存在していた。
技術とは機能を実現する行為あるいは方法である、とは田口哲学から学んだ技術の定義である。
カテゴリー : 一般
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