2021.04/10 クラシックとジャズ
音楽ファンの中に、クラシック音楽ファンは多い。面白いのは、彼らの評価視点が、楽団や演奏者、指揮者に存在する点である。それに対して、ジャズファンは作曲者である演奏者のアドリブすなわち演奏そのものを楽しむ。時には演奏が面白ければ、誰が演奏していても構わない。
もっともクラシック音楽の作曲者は200年以上前の人物もいるので、作曲者に指揮を求めることができないという理由で、今生きて目の前で演奏している指揮者や楽団の批評になるのは当たり前であるが。
それにしてもクラシックファンの音楽の語り口は、ジャズファンの音楽に対する視点と音楽への期待とは異なるように思う。クラシックファンには叱られるかもしれないが、彼らは、結論など出せないクラシックの作曲者の思いをうまく再現しているかどうかという問題を議論しているかのように見える。
クラシックの作曲者がどのような思いでその曲を生み出したのかはもはや確かめようがないのに、そこへたどり着けないのかと、あたかも求めても決して得られない欲望の目標を追及している、と表現できるかもしれない。
だから、酒の肴として延々と語ることになるのだが、脇で聴いているとどこが楽しいのかわからないので吹き出したくなることもある。ただ、ここで吹き出してはクラシックファンに失礼である。それが趣味というものである。
ジャズファンは単純で、そこに新しさあるいは新鮮さとその刺激があれば興奮して喜んでいる。作曲者である演奏者がそこで見せるアドリブは麻薬のようなもので、同じ曲でありながらライブを求めて追っかけをするものも現れる。
他人の曲をもじったアドリブで楽しませてくれる二次創作者である演奏者も人気になり、これはクラシックでは見られない現象である。時にはへたくそな演奏でもアドリブが面白ければ人気者になる。
大学で勉強そっちのけで軽音楽と称しジャズにのめりこむ若者が後を絶たない理由である。人気者になれなくても、下手な演奏で自分一人で酔うこともできるのでジャズは便利である。全曲演奏するスキルが無くともお気に入りのフレーズだけでも酔っぱらうことができる。
その逆にオリジナルの作曲者顔負けの演奏テクニックでコピーを聴かせる演奏者も評判となる。超絶な演奏テクニックを追求し、オリジナルともはや異なっている演奏で騒音と呼んでも良いような音楽なのに自分で酔っている若者、このあたりもクラシックファンに理解できない現象である。
ピアニスト室井摩耶子氏はもうすぐ100歳になる。おそらく超絶テクニックで楽器を演奏する若者のような曲を演奏できないだろうけれど、ベートーベンの月光はピアノの音に言葉で表現できない響きが乗った不思議な音色に聞こえてくる。ここにクラシックとジャズの違いがある。どちらも音楽であるが。
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