2021.05/30 科学の視点
自然現象を観察するときに科学の視点が唯一と信じていると、自然現象に潜んでいる新しい機能を見落とすことがある。これは、これまでの観察経験から科学という哲学の弱点だと思っている。
小学校から科学教育の一環として「観察」を習う。残念なのは、美術で写生を行う時に観察と言う言葉が使われていないことだ。ひどい美術の先生になると見たままを描け、と指導する。今時ならデジカメで撮影すれば一瞬で見たままを描くことが可能だ。
当方が美術の教師ならば、目の前のオブジェクトで感じたことを思うがままにキャンパスに描け、と指導したい。実は写真でも「見たまま」ではなく、感じたままを写すことが可能である(注)。この意味で腕のいい写真家は必ずしも真実を写していない。
理科だろうが美術だろうが自然現象を前にしてそれを記録する、あるいは描くためには観察が重要であるが、観察を必ずしも科学の視点で行う必要は無い。
新しい発見をしたいならば、むしろ科学の視点を外した方が良い。それではどのような視点で観察を行えばよいのか。それは弊社にご相談ください。
(注)そのためにカメラには絞りや感度調整のつまみが存在する。またレンズの画角や、焦点距離その他の因子の使いこなしの写真術がある。今はインスタ映えに注目が集まり、きれいに或いは美しく撮影することに関心が集まっているが、その逆も存在する。美人の人は美しく、そうでない人はそれなりに、という写真フィルムのCMがあったが、そうでない人も美しく写すのが写真術である。ただしこれは科学の視点では許されない。そうでない人をそれなりに写す写真フィルムがよく売れた20世紀は科学の時代である。赤ちゃんをかわいく写すフィルムはシェアーをひっくり返すほど売れなかったようだ。「ママ撮って」というネーミングは良かったが—-。もしかしたらそれなりの人を美しく写すフィルムだったら売れたかもしれない。
カテゴリー : 一般
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