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2021.07/30 日本文化の危うさ(2)

昔文化を語る時に目の前に広がる世界だけ考えればよかった。しかし、今文化を論じるときに電脳空間という見えない世界まで相手にしなければいけなくなった。文化人だけが語る文化論だけを信じていると時代遅れとなる。


一方で電脳空間を主な仕事場としている人たちの中には、高い教養が必要な文化もへったくれもなく、その香りがしそうなものを「文化」として見えるところに送り出してくる。


高い教養があればそのような文化のもつ胡散臭さに気がつくが、教養が無い場合には、そこに気がつかずやんややんやと持ち上げる。渋谷系と呼ばれた文化の大半はこれに近いものがある。ガンクロは死語となったがちびくろさんぼは今や差別用語となった。


子供の頃読んだ4匹のトラがおいしいバターに変わるおとぎ話がなぜ差別なのか、最初聞いたときにびっくりしたがそれが島国文化に慣れ親しんだ感覚の愚かさと悟るのに時間はかからなかった。白人だったならそのような物語展開とならなかったことに気づくからである。


教養と文化とは一体のものだが、今回の小山田問題は、教養の抜け落ちた文化が日本を席巻している現実を日本人に気がつかせたのではあるまいか。レンタルビデオ屋を街で見かけなくなって久しいが、レンタルビデオ屋でもAVの扱いには慎重で、人目のないところに見えないようにコーナーを設けていたり、良心的なところはそのコーナーさえなかった。


映像文化がメディアで販売される時代は終わり、ネット販売が一般化したとたんにAVの敷居が低くなり、見ようと思わなくてもうっかり奇妙なアイコンをクリックしたりするとそこへ飛び込んだりする。


ネット社会には本来隠されているべき世界とシームレスにつなっがている問題がある。リアルな人間社会には法律や慣習でそのような世界は閉じられているが、ネット社会は未だ無法地帯であり、サブカルチャーの多くはそのような世界で発展しているのである。

 

カテゴリー : 一般

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