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2021.07/31 ボブ・ディラン

2016年にノーベル文学賞を受賞した時には驚いた。おそらく日本人でこの時に腰を抜かした人は60歳以上の老人たちではないだろうか。彼が登場したのは、映画「卒業」の描かれた時代でもあり、プラスチックが世の中にあふれだした時代でもある。


アメリカは公民権運動やベトナム戦争でてんやわんやの時代で、日本ではプロテスト・ソングと呼ばれたメッセージ性の強い歌を彼は次々と発表していた。


この影響を受けて、日本では「受験生ブルース」の高石智也や部落問題を扱った「手紙」の岡林信康などが登場している。1964年の東京オリンピック前後の時代に欧米ではカウンターカルチャーが全盛期を迎えていた。


日本ではロックと言えばビートルズだが、ボブ・ディランはアメリカ文学で起きたカウンターカルチャーの流れの中でビートジェネレーションのピークに現れ、欧米においてはビートルズの前にボブディランが音楽業界で有名だった。


すなわち、ボブディランは文学界のカウンターカルチャーの流れを音楽界に持ち込んだ功労者である。その後このカウンターカルチャーは衰えサブカルチャーとして昇華するが、カウンターカルチャーの申し子とボブディランが称されるのと日本で小山田圭吾らがサブカルチャーの旗手として持ち上げられるような価値とは雲泥の差がある。


ボブ・ディランはデビュー時にはカウンター・カルチャーの中心人物だったが、その後音楽性もがらりと変化し、ドラッグ常習者へ変貌しサブ・カルチャーの旗手となってゆく。ジョーン・バエズがコンサートで彼の批判をしたことは有名である。1970年前後に彼は麻薬中毒だった可能性がある。


彼の音楽と同時並行に進んでいたのが、ヒッピー・ムーブメントであり、日本でヒッピーはあまり良い印象を持たれていないが、アメリカでは社会変革を目指したカウンター・カルチャーだった。


故スティーブ・ジョブズがヒッピーだった、というとイメージが混乱する人がいるかもしれないが、カルチャーの流れを理解しておれば納得できる。


メインカルチャーが何か、というのが多様化とデジタル化の中で見えにくくなっており、当然そのカウンターとして位置づけられるサブカルチャーとの境界はわかりにくくなる。特に日本では取ってつけたようなサブカルチャーも存在している。ややこしいのはそれでも偽物と決めつけられないところが「文化」の難しいところだ。


ゆえにメインカルチャーからサブカルチャーを理解しようとするとかなり難しくなるが、サブカルチャーの視点から眺めると、メインカルチャーとして何を目指せばよいのかはぼんやりと見えてくる。


おそらくボブ・ディランのノーベル賞の意味はそのようなところにあったのかもしれないと、小山田圭吾の問題を考えながらボブ・ディランを再評価した。コロナがいつ収束するか、その答えは風の中にある?部屋の中に風を起こし空気の循環をよくして感染防止!

 

カテゴリー : 一般

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