2021.09/12 コロナ禍の異なる意見
ドラッカーは異なる見解こそ耳を傾けよ、と述べている。すなわち、組織内あるいは組織間で合意された見解に間違いやリスクがあるかもしれないからだ。異なる見解は、それを明らかにしてくれる。
倉持仁医師が、1年半のコロナ治療を数字で振り返り「感染症治療は早期の診断、隔離、治療介入により死亡はゼロにでき得る。この当たり前のことに今も気づいていない」とYouTubeで述べていた。
詳細はYouTubeを見ていただきたい。ご自身の今年3月から行った226人のコロナ患者治療において死亡0の経験から述べているのだが、説得力がある。
このような意見が、何故YouTubeで、と視聴者には疑問符がつくかもしれないが、30年以上の実務経験から、疑問符ではなく、今の日本で誠実真摯な医師の一人なのだろうと評価している。
医師と言う職業から黙って現状を見ておれないのだろう。本来は為政者がこのような見解にいち早く気づき、為政者の周囲の不誠実な担当者の見解よりもこのような見解に耳を傾けるべきだが、科学的に明らかになっていない分野ではそれが難しいし、「面倒くさい」と言うのが本音となる。
どうせもうすぐ辞任するのだから、という気持ちが少しでもあれば、このような異なった見解に耳を傾けていても面倒だ、適当なことを言っている医者の見解を採用しておけば責任を果たせる、とでも考えているのだろう。
大企業でもこのような流れになることが多い。当方のFD問題で隠蔽化された経緯だけでなく、そもそもゴム会社の研究所で高純度SiCの事業提案を行ったときには異なる見解として無視された。
無視していても、当方を留学させていると言い訳ができたからである。高純度SiCの事業提案では、たまたま無機材質研究所の先生方のサポートがあり、一企業の提案に留まらない良い提案であると認められたので、社長から直接2億4千万円の先行投資を頂けた。
その時のプレゼンテーションの場では事なかれ主義の研究所長にかわる新しい研究所長が出席されていた。研究部門の取締役も交代していた。おかげで新しい研究体制の6年間に住友金属工業とのJVと言う形で事業を立ち上げることができた。この体制が交代した直後にFD問題が起きている。
日本において倉持医師は異なる見解派であり、政治状況から無視される可能性が高いが、人の命がかかわっている問題だ。それを無視してこの見解を取り入れない政府の対応あるいは都の対応を人の命を軽視している、ととられてもしかたがない。
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