2021.10/20 努力の習慣
昨日の話にどうしたら努力できるのかと質問を頂いた。コビー氏ではないが、努力を習慣化すればよいだけであるが、いくつかコツがある。
ここでは一つだけ紹介する。「自分をほめてやりたい」とは有森氏の言葉だが、この言葉の持つ意味と奥深さは相当なものがある。また、有森氏が言った言葉ゆえにその意味の膨らみも大きい。
「努力しても成功するとは限らない」は内村氏の言葉だが、人生の価値は出世や仕事の成功だけではない。むしろ出世など長い人生を思うとあまり意味が無い。例えば先日判決が出た池袋母子ひき殺し犯は、ネットで上級国民と騒がれたりしたが、裁判の過程における発言や態度を見る限り、人間としての良識を欠いた人物だった。
当方のFDを壊した犯人もそれなりの役職の人物であり、その事件を隠蔽化したのは研究開発本部を統括していた取締役と聞いている。自分の出世のために他人から成果を奪って生きてゆくサラリーマン人生にどれだけ価値があるのだろうか。
組織を離れれば、その人の人生の積み重ねで生きてゆくことになる。その一部に他人の業務妨害までして出世しようとした歴史が残ることは恥ずかしくないのか。当方の研究成果を勝手に論文にした大学の先生もそうである。
ご自分が全く関与していない研究の成果だけを奪い論文を書く、そこまでして研究者としての立場を守りたいのだろうか。またそのようにして守られた人生は、空しくないのだろうか。一度出版されれば永遠に証拠として残ってゆくのだ。
確かにポリエチルシリケートとフェノール樹脂を前駆体とした高純度SiCの研究は、それを自分の成果のようにして学会賞を狙う人物まで出てきたように第三者から見て素晴らしい発明だったのだろう。
当方はこの発明を徹夜や休日返上した過重労働によりたった一人で成果として出している。そして、この成果について何ら報償を受けていない(注)。FD事件を隠蔽化されて退職したゴム会社から特許報償も受けていない。住友金属工業との共同出願特許が成立しており、少なくともこの事業報償があったことを理解していてもである。
死ぬほどの努力をなぜしたのか、と聞かれたことがある。その時「生きるため」と答えている。知識労働者として生きるために知識を獲得する努力は、人間の基本3欲求と同様に重要である。
(注)窓際となり豊川へ単身赴任したその日に無機材研でご指導いただいた総合研究官からお手紙を頂いた。ゴム会社では信じてもらえなかったポリエチルシリケートとフェノール樹脂の均一混合されたポリマーアロイを用いた高純度SiC合成法を実証できるチャンスをくださった方である。基本特許は無機材質研究所から出願されたのだが、その時この方がゴム会社から頂いた特許報償をすべて小生にくださる約束を言われた。小生はお気持ちだけで十分とお答えしたが、その方が退職されるときに当時の思い出とともに激励の手紙を小生に下さった。写真会社へ転職し一番つらかった時に頂いたこの手紙が起爆剤となり、カオス混合装置が発明されている。努力を見ていてくださる人が必ずいるのだと確信した。世の中には悪人ばかりでなく神様のような人もいる。
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