2021.12/30 50年前
今から50年以上前、当方は高校生だった。この頃は、1960年代から激しくなった安保闘争に大学紛争が加わり、高校1年時に校長室封鎖事件が起きている。この事件の日から1週間授業を停止して体育館で討論会が行われた。
すなわち、大学紛争が高校まで飛び火したのだ。原因は当時の中谷教育長が高校生の政治活動禁止を打ち出し、4人以上の集会が禁止されたためである。クラブハウスでマージャンをやっていた連中が騒ぎだした、と当方は瞬間的に誤解した。
校長室封鎖事件の真相について当時の社研クラブが総括としてまとめており、茶褐色に変色したそれを今読むと若者ゆえの背伸びした思想が展開されており気恥ずかしくなる。そして教室に毛沢東の肖像を飾っていたクラスの存在を思い出し、中国の文化大革命の影響も少なからずあったことに改めて驚く。
毛沢東語録の日本語版が当時発売され、クラブハウスにポケットパンチOh!と一緒に並べられていたが、その後当方の愛読書となるドラッカーの「断絶の時代」が当時の世界的ベストセラーとなっている。体育館での討論会は、週末に高校生の政治活動禁止に反対するデモ開催を決議し終結している。
このデモの決議は学校から承認されなかったが、自由参加で800名前後の生徒が参加して週末に決行された。このような熱い一週間が過ぎた翌週は何もなかったかのように受験勉強へ邁進する生徒の姿に戻っていた。
愛知県トップの進学校だったから教師はガス抜きをすれば簡単に終息する、と判断したのだろう。1週間の討論会を認めた教師たちの勝利である。
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