2022.02/05 両面(1)
昨日当方の学生時代の体験を書いたが、大学4年から大学院の2年間の研究生活で、日々具体的な指示があったのは、毎朝1時間のドイツ語学習だけだった。
大学院を予定していなかった当方に大学院へ進むように促し、ドイツ語まで強制して勉強をさせてている、と奇妙なうわさがたった。当方の所属していた講座が教授の定年退職により閉鎖されるとのうわさも出ていた。
外部から見れば、毎朝8時から9時までの1時間、大学院に進学予定でなかった学生が、ドイツ語のスパルタ教育を受ける風景は奇妙に映ったのかもしれない。さらに状況を第三者が見たならばアカハラか熱心な学習指導か問われれば、アカハラといっても良いような雰囲気だった。
ただ当方にとって、噂よりも熱心にご指導される教授が面白かった。大学院の試験を受験しないかもしれない学生に熱心にドイツ語を教えているのだ。
しかもおよそ語学教育と言うよりも専門教育と言った方が当てはまった。すなわち、専門教育をドイツ語でやっていた、と表現できるような学習内容だった。それゆえに第三者から見れば語学教育ではなく、ドイツ語の分からない学生にドイツ語で専門の指導をしているように映ったのかもしれない。
正直に気持ちを表現すれば、ドイツ語の学習について最初は気が進まないだけでなく、教授にからかわれているようで憂鬱だったが、大学まで進学し、3年間高校の延長線のような授業で不完全燃焼していたので、難解な論文解読が途中から面白くなっていった記憶がある。
このご指導のおかげで、大学院の試験は優等生用の下駄をもらえなくても1けたの順位で授業料免除の特典がある合格点だった。アカハラか、熱心な指導かは、試験の結果が語っていたのだが、今の時代には通用しない教育方法だったかもしれない。
結局教授の退官により大学院に合格してもその研究室で研究を続けることができなかった。この結果を見れば、乱暴な指導という批判も出るのかもしれない。しかし、ご指導してくださった教授は、大学院の授業料免除や奨学金の手配までしてくださった。
そして当方は、卒論の研究を続けることはできなかったが、大学院に進学し2年間SiCウィスカーを研究していた講座で学べたことを後悔はしていないし、またこの3年間があったからこそ今の人生がある、とこの教授に感謝している。
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