2022.04/14 東大入学式の祝辞
河瀨直美氏の東大入学式における祝辞が問題となっている。まず本件、大量に人が亡くなっている今、入学式の祝辞をこの人に述べさせたのが間違っている、と結論を書いておく。
映画作品を素晴らしく描くことができても思考方法がおかしいとこのようになるという典型例である。今男性映画監督に文春砲がさく裂しているが、これらの男性映画監督と比較しても負けない思考方法である。
また、この方の作品をよく理解したならば、ロシアとウクライナとが戦争をやっている最中の東大の入学式で語らせたら何を言うのか、おおよそ理解できたはずである。もしそれを期待して河瀨氏を招聘したとしたならば、内部批判でも言われていたように東大などいらないのである。
この人の目からは侵略戦争を単なるヤクザどおしの殺し合いにしか見えていないのである。代表的な作品と東大生に語った内容をよく読むとそのようにしか理解できない。
東大生の中にも祝辞を聴きそのように感じた人がいるかもしれない。ロシアとウクライナの戦争は、単なる殺し合いではなく、武力による現状変更を禁じる価値観が世界標準となった時代におけるヨーロッパで起きている戦争であり、どのような視点で見てもロシアの侵略戦争である。
実験でも同様であるが、まず目の前で起きている現象を先入観なく見ることが大切である。そして現象をそのまま評価したうえで、考え方を整理していろいろとアイデアを展開してゆくことが重要である。
ロシアとウクライナとの間の戦争を単なる殺し合いとして捉えたならば、「ロシアと言う国を悪者にすることは簡単で、悪を存在させることで安心していないだろうか」という問いかけとなるかもしれない。
ところが、今日の世界は、それなりのリテラシーのあると思われたロシアと言う国が平気で侵略戦争を始める悪であることが分かったので、安心どころか大慌てしているのである。
また、「自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要がある」どころか、ロシアが北海道に侵攻してきたらどうするのか、第九条をよく議論しなければいけない時代なのだ。先日北海道はロシアの領地と言う発言がロシアの重鎮から飛び出したばかりである。
争いごとが起きると「どっちもどっち」という無難な意見をしたり顔で述べる人がいる。しかし、やってはいけないことを明確に指摘し批判することは、秩序を保つために必要な努力である。
21世紀、領土の現状変更を戦争という手段で行おうとする行為は、理由や背景はどうであれ、絶対にやってはいけないことである。
ゴム会社で社長方針に従い新規事業を立ち上げたところ、研究所の同僚に業務を妨害されるという事態に、被害者が転職し無難におさめ新事業を守ったことを河瀬氏はどのように評価するだろうか、聞いてみたい。
カテゴリー : 一般
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