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2012.09/18 技術屋の心眼

「技術によって生み出された人工物に含まれている知識は、どんなものであれ科学がもたらしたものにちがいない-科学の時代と言われる今日、こうしたあまりにも安直な考えが一般的となっている。これは現代の俗説の一つであり、そうした俗説は、技術に携わる人々がわれわれの住んでいる世界を形づくるに際して、科学的とはいえない多くの決定ー大きなものも小さなものもーをしていることを無視している。日常使用している多くの物体が科学の影響を受けていることはたしかである。しかし、それらの形状、寸法、外観は、技術に携わる人々ー職人、技術者、発明家ーによって、科学的ではない思考法を用いて決定されてきたのである。」

 

以上はE.S.ファーガソン著「技術屋の心眼」(平凡社)の序文であります。この本はバブルがはじけた1995年に、翻訳の初版が発行されました。ちょうどコニカ(現在コニカミノルタ)へ転職して4年目の時で、酸化スズゾルの帯電防止技術を製品に搭載することに成功し、新たな製品化テーマを担当したときです。通勤電車の往復で一気に読んでしまいました。(「問題は「結論」から考えろ!」でも紹介しています。)

 

科学と技術は車の両輪、とよくいわれます。しかし、科学につきましては学校教育という学ぶ場がありますが、技術につきましては、就職するまで真剣に学ぶ機会がありません。また、学校教育は、教育基本法など社会標準などが決まっており、皆同じ水準の教科書で勉強しますが、技術教育は企業ごとに様々です。日本の社会の常として、転職してよかったことはあまりありませんが、技術者教育について企業に差がある、ということを学びましたのは大きな収穫、と思いました。メーカーでトップになる企業は、やはり技術者教育に力を入れている、あるいはOJTで技術者を育成できる企業である、と痛感しました。技術者を大切に育てながら、営業活動も含め均等に力を入れることのできる企業が、世界のトップ企業になれるのでしょう。

 

どこのメーカーでも技術者教育のシステムを大なり小なり備えているかと思います。しかし、技術者を育てていこうという風土まで企業文化の中に根づかせるには、企業トップの努力が必要です。ブリヂストンの12年間は、それを体感できた貴重な人生経験として宝の期間です。

 

「この会社には技術が無い」と、入社半年で退職した同期もいましたが、その彼がイメージしていた技術とは科学の世界観の科学技術でした。「カンと経験と度胸(KKD)」を豪語する先輩社員も多く、現場現物主義の徹底した風土で、科学教育を受けてきた新入社員の目に「科学技術が無い」、と写っても仕方がない会社でした。企画書を持って行くと、一読もせず、「まず、物を持ってこい」と叱る研究部門のトップがいる会社でした。軽量化タイヤのスペックを科学的に求める新入社員の実習テーマに対して、「君が考える軽量化タイヤとは、何か」、と真剣に熱く質問するCTOのいる会社でした。

 

一方で、充実した大学への留学制度や、学会活動、学位取得など学術を極めようとする社員に理解がある会社でした。大学への寄付など学術方面への貢献も企業活動の中で積極的に推進している会社でした。学術の限界を語り、実技の神秘性や奥深さを学術の視点と技術屋の心眼で指導できるメンターがいる会社でした。

 

ブリヂストンには、科学と技術が車の両輪としてうまく動いているイメージがありました。少なくとも技術とは何か、を真剣に追求する風土だったと記憶しています。科学は、学校教育も含め十分すぎるぐらい学ぶ機会がありますが、技術については学べる機会や環境が少ないように思います。メーカーが唯一の環境かもしれません。その環境は企業により大きな差があります。各企業がこれまで培った経験知をうまく伝承し、企業に貢献できる技術者を育てることができるかどうかが、今後の日本の再生を左右すると感じています。

 

技術者教育に関し、社会標準は無いように思われます。技術というオブジェクトが、属人的であったとしても企業のノウハウまで含んでいるのなら、標準化は難しいかもしれません。E.S.ファーガソンの著書は、技術とはどういうものか、をわかりやすく表現しています。訳者あとがきでは、核エネルギーの開発の成功は科学的思考の産物で工学的な現場感覚を軽視していることを指摘しています。このあとがきは福島原発の事故よりも前に書かれたものです。3.11以降の状態から「技術」というものを今一度真剣に考えなくてはならないと感じました。弊社は、少しでもそのお役に立てるような活動をしたいと考えています。

カテゴリー : 一般 宣伝

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