2022.12/13 フィギュアスケートGP3冠
ロシアが参加しなかった影響もあるかもしれないが、フィギュアスケートグランプリシリーズファイナルで日本が3冠を達成した。また三原選手は、ファイナルまですべて優勝で揃えた。これは日本人初の快挙である。
渡部絵美選手の時代からフィギュアスケートを毎年楽しみに見ているが、このスポーツほど才能と運の影響が大きく表れるスポーツは無いと感じている。
何でも才能と運の影響は大きい、と言われるかもしれないが、フィギュアスケートは才能の差を素人でも感じ取れるスポーツの一つである。
例えば三原選手はそのスケーティングスピードや表現力においてシニア登場時から専門家の誰もが称賛していたが、素人の目にもそれを理解できる十分な演技だ。
トリプルアクセルのような技は無いが、スケーティング全体から感じられる芸術性は天性の才であることは、評論家も指摘しているので確かだろう。
かつて4回転時代の幕開けの時にプルシェンコが、4回転を飛ぶだけがフィギュアではない、と言っていたが、4回転の名手の言葉だけにそのあとの説明に説得力があった。
フィギュアスケートというものは、スポーツであるとともに高度な芸術性も求められる稀有なスポーツである。その芸術性は、ただ練習しただけでは身につかない、スケーターの才能に依存する部分だろう。
このような天性の才能を目の当たりにすると、凡人はため息をつくことになるのだが、亡母は才能が無い幸福を説いていた。
才能に人生が縛られる不自由さを教えてくれたのだが、凡人には好きなことにチャレンジできる特権がある。人生の終盤になってみるとこの特権のありがたみが分かる。
データサイエンスという言葉など無い時代に、業務がきっかけとなり購入したパソコンに夢中になった。統計手法やとるにたらない現象のシミュレーションなどパソコンでデータ解析する遊びを暇があればやっていた。
また、様々なプログラミング言語にも挑戦したが、この方面に才能があったなら高純度SiCの事業化やカオス混合装置の発明などチャンスが無かっただろうと思われる。
何も才能が無かったので、無機材料から有機材料まで、コンピューターゲームやシミュレーションからAIまで、様々な技術にチャレンジでき達成感を味わうことができた。凡人ゆえの特権である。
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