2023.01/26 多変量解析(1)
新しい学問を初めて学ぶときに難しいと感じるものである。孔子は40にして惑わず、とすごいことを言っていたが、当方は70近くになっても惑うことは多い。
孔子の時代に比較して情報は膨大となり、三途の川を渡るまで身に着けていなければいけない知が増えたためである。知の量で天国と地獄が分けられるとした宗教がいくつかあるが、念仏さえ唱えておれば天国に行けるとした仏教の一宗派は日本中を席巻し現代まで残っている。
統一教会は、知の量ではなくお金で天国と地獄が分かれるとした宗教と思われるが、このような考え方は、地獄の沙汰も金次第、と昔からあった。宗教を哲学としてとらえるならば、その知は無料であるべきだろう。
哲学は広く人類に普及し利用されることを願うならばフリーミアであるべきだ。無料の多くの哲学を学び実生活に適用してみて有益と感じたものを個人が選んで生活してゆくことが望ましい。それにより、歴史のふるいにかけられた哲学が未来まで残ってゆく。
宗教は死後の世界を考慮した哲学であり、無宗教の身では、それをどこまで学べば三途の川を渡りたくなるのか分からないので、体力をとりあえず落とさないように日々努力している。いざとなれば泳いで渡る覚悟である。
宗教が死後を意識した哲学ならば、生きている世界で誰もが必須と認めた哲学は科学という見方もできる。そしてこの科学という哲学は、新たな哲学を生み出す力を持っているようだ。幸福の科学は怪しい哲学だが、人工知能(AI)という未だ曖昧なため怪しい哲学と思いたくなるものが最近流行している。
機械学習という言葉を初めて聞いたときにびっくりした。学習と言えば「読書100遍意自ずから通ず」という哲学があるが、機械学習ならば読書は1回スキャンするという動作にすぎない。
ところで、昔登場した多変量解析までを含めて機械学習と呼び、パーセプトロンを用いた場合をディープラーニングとして説明している教科書がある。
その一方で、昔ながらの多変量解析を統計手法として区別し、それ以外を機械学習と呼んでいる教科書もある。後者の理由は、教師データなど用いず、学習という手順を踏まないので統計手法の多変量解析を区別しているようだ。
すなわち、データサイエンスという学問は今後も発展するだろうが、その過程ですでに境界領域が曖昧となった知が生まれている。漫才の突っ込みではないが、ディープラーニングで行っていることは多変量の解析ではないか。
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