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2023.02/23 社会の常識

昨日の老人の集団自決発言に対する老人のご意見の数々は、皆冷静な見解ばかりだった。その内容を丁寧に読む限り本音の表現だろう。発言の行間には厳しいご指導のアドバイスが溢れていた。


恐らくこの行間のアドバイスを読み取れるかどうかは、人生経験の差と言えるのかもしれない。行間に言葉と裏腹の内容が見え隠れするような発言は皮肉と捉えられるかもしれない発言である。


多くの若い人に老人の言動を理解できないのは、ある意味老人に対する敬意の無さの表れなのかもしれない。身近な老人が、仮に老害をばらまいているような老人ばかりであっても、若い人を応援したり、あるいはチャンスを与えるために分別持って自ら身を引き若い人に道を譲る老人も少なからずいるのだ。


SNSなどの発達で社会の不変の常識が揺らいでいるのかもしれない。回転ずしなどの問題もその一つだが、老人はじめ年上の人に対する敬意を持つことは、たとえ自分の周りに尊敬の価値が無い上司で溢れていても不変の常識の一つである。


会社で昇進してえらくなっている人たちは、皆先輩や上司にかわいがられ指導されて昇進してきた人たちである。ダメ上司や他人の業務を平気で妨害する先輩ばかりに囲まれた場合には会社を転職する以外に道は無く、その会社で偉くなれないのである。


この道理に気がつけば、会社の入社時における面接で年長者や上司に支えられて成果を出したい、とか仕事をしてきました、という文言は役員面接で必須となる。そしてそれが社会の常識となって続いている。GDPも上がらない状態が続いているが。


(注)常識のない優秀な若者であふれている現実を知り、非常識でも優秀な若者を育てようという気持ちを持たなければ、イノベーションを起せないのではないか。それは、リーダーにとって大変な仕事を抱え込むことになる。成田悠輔氏のような人材を扱いにくい、と敬遠していては駄目である。指導して育ててやろうという老人が昨日のニュースで発言していたのかもしれない。孔子は40にして惑わず、と述べていたが、今は40でも社会に役立つ人材は、指導し育てなおさなければいけない時代ではないか。

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