2023.03/15 連帯の崩壊した社会
ガーシー議員の除名処分は72年ぶりだそうだ。しかし、彼を今回除名処分にしても本質的な問題解決とならない。**48党などという怪しげな政党が生まれているからだ。
昭和の時代から今日まで、徐々に国家の連帯は崩壊し、今や個々バラバラ、自己責任社会となった。このような社会における民主主義のシステムをどうするのか真剣に考えなければ除名処分だけで解決できない問題が起きる可能性がある。
すなわち、一部の怪しげな連帯の塊に国家を乗っ取られる可能性が出てきたのである。現在の投票率ならば十分に可能性がある。
もう50年近く前の話だから許されると思うが、ゴム会社で第二の創業と称して会社名からタイヤがなくなり、非タイヤ事業を事業全体の50%とする方針が出された。
その目的を実現するために、電池とメカトロニクス、ファインセラミックスの3本を柱とし新事業を起業すると社長は詳細方針を出し、創立50周年記念論文の募集を全社対象に行っている。
ところが最初の締め切りまでに集まった論文はたったの3件だけだった。そのうち1件は当方の投稿した高分子を前駆体として用いる高純度SiC事業であり、社長方針を受けた内容でまとめていた。
集まった論文が3件では、おそらく人事部も困ったのだろう。新たに締め切りを設定しなおして、各部門の管理職に論文の応募を働きかけて何とか8件の論文を集めた。
ところがその8件の論文の中から1席2席3席まで選ばれたのだが、選ばれた論文の内容は社長方針とは無関係だった。ちなみに社長方針通りの当方の論文は3席まで入っていない。1席は若い研究所員が書いた豚と牛を掛け合わせたトンギューなる生物を開発し、牛の旨味と豚の繁殖力を活かした食肉事業について書かれていた。
荒唐無稽のこの論文を1席に選んだのは、審査を委託されたW大学の有名なタレント教授だった。この教授は書かれた内容について社長方針など無視して論文を選んでいる。
ドラッカーが述べていた、「異なる見解にこそ耳を傾けよ」という観点で論文が選ばれたと考えなければ説明のつかない結果であった。
さて、ここで当時の恨み節を述べるつもりはない。当時新事業のインキュベーターとして位置づけられた研究所の管理職からは1件も論文投稿が無かったことを暴露したい。
研究所からの応募は、若い研究員の書いたトンギュー論文と当方の高純度SiC事業に関する論文だけだった。社長直下の組織だったにもかかわらず、研究所管理職はじめ多くのメンバーが社長の期待を無視したのである。
科学の研究こそ研究所の使命という哲学で毒されていた研究所は、企業の研究所でありながら、社長方針を無視して活動している風土だった。当方は、そのような研究所の風土が理解できず苦しみ悩んだ。
しかし、企業の組織とは思われない研究所から命じられた海外留学について、当方が論文実現のため無機材質研究所を希望した願いを人事部が認めてくれたことに多少の未来をゴム会社に託してみたいと感じた。
当時の研究所は、当方が転職する頃まで、「科学の美しさ」を目標としながら組織としての連帯を感じられない集団だった。世界で初めて実用化されたポリアニリンリチウム二次電池(注)は日本化学会技術賞を受賞するや否や事業を辞めてしまっている。セラミックス電極の提案がありながらもLi二次電池のテーマを廃止している。
担当ではなかった当方が、転覆しそうだった電気粘性流体について事業化が可能な技術にしようと努力し、耐久性問題の解決と性能向上のための微粒子設計を行ったが、当方が転職後は、材料技術をそれ以上開発することもなく事業として育つことはなかった。
そして、当方が住友金属工業とのJVとして起業した高純度SiCの半導体治工具事業だけ30年続き、現在も譲渡された愛知県のセラミックス会社で事業が行われている。
このような研究所で12年活動して感じたのは、連帯の崩壊した社会では共通したあるべき姿の夢、少なくとも社長方針に則り企業の成長に努力する目標を皆で連帯して持つことができない社会の冷酷さである。
目標の曖昧な科学と言う哲学の実践を掲げた研究所のように、資産を食いつぶすしてゆくような社会と日本もなるのかもしれない。いつの時代にも人間には生きてゆくために具体的な生産活動が求められている。
その生産活動の効率を上げるために連帯の役割がある。個人の権利を侵害しない連帯活動を実現する努力が成されている社会で今回のガーシー議員の事件が起きている。若い有権者はこの意味を理解していただきたい。
(注)世界初のLi二次電池の事業化である。
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