2014.09/24 高分子の難燃化技術(8)
1980年当時アルコキシドを用いたゾルゲル法が学会で話題になっていた。リン酸エステル系難燃剤もアルコキシドととらえれば、ホウ酸エステルと組み合わせると、燃焼時の熱でガラスができるはずである。ホスファゼンが使えなくなり、リン酸エステルで何とかしなければならない状況で頭に浮かんだアイデアがこれで、まさに必要は発明の母である。
ホスファゼンの技術が会社に認められて、その技術開発を続けていたら思いつかなかったアイデアであった。もちろん企画書を書いていた段階ではアイデアのかけらもなかった。ただ企画書には無機高分子の活用と抽象的に研究課題の候補の一つに挙げていた。しかし研究開発を推進する過程で技術を具体化すればよい、とも企画書作成段階で言われていたので、ホスファゼン以外のアイデアを具体的に考えていなかった。
ところが、ホスファゼンを用いた技術が始末書騒ぎになり、炭化促進型難燃化技術の研究が中止になる事態になった。当時のゴム会社では、ファイアーストーン社のPNF100やPNF200というホスファゼンを用いたコンパウンドの調査を完了していたので、ホスファゼンを原料から合成するビジネスについて否定的であった。
そもそもこのゴム会社に入社した背景には、ホスファゼンゴムを世界で初めて実用化したファイアーストーン社の技術を最も積極的に調査していたという情報があったからだ。確かに積極的に情報収集した事実があり、その結果ホスファゼンについては研究開発のテーマに上げない結論が出されていた。
管理職以上であればこの結論を知っていたはずである。始末書騒ぎが起きたときにアドバイスしてくださった方が裏話をしてくださって、新入社員が始末書を書くなどと言うのは不思議だ、と教えてくれた。
当方は研究開発企画のチャンスももらえて、さらにその責任も取らせてもらえるならば、とある意味光栄に思っていた反面、周囲の情報から管理職に対する腹立たしさも芽生えた。始末書の内容次第では、ホスファゼンの研究そのものも否定されかねない。
始末書には、ホスファゼンの研究で新たな研究シーズが生まれた、という内容を盛り込みたかった。しかし、その一行を書くためには、確実に実用化できるアイデアが必要だった。浮かんだアイデアのヤミ実験を開始した。
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