2023.09/02 石川数正の出奔
「どうする家康」の視聴率が上がらないらしい。当方もほとんど視聴しなくなった。理由は単純で、面白くないからである。若者受けを狙って演出している、との解説があったが、その若者も見ていないのであれば意味のない演出だ。
ところで石川数正の出奔について、このドラマでは、泣ける話が展開された。演じる松重豊もうまかった。しかし、本当にそのようであったかどうか、ネットにはいろいろ批判が書かれている。
当方は当時の時代背景や石川数正の位置づけから、二人の気持ちとして、ほぼ同様の展開ではなかったか、と思っている。ただ、石川数正の気持ちはそうであっても、このような演出ではうまく伝わらない。
当方は、高純度SiCの半導体治工具事業をゴム会社で立ち上げたが、フロッピーディスクを壊されるなど妨害を受け、それを研究所が隠蔽化する方針としたので、セラミックスのキャリアをすて写真会社へ転職している。
しかし、引き継ぎを行った上司から若手の育成をしたいので、しばらくは指導をお願いすると言われ、写真会社で業務を定時で終えて日野から小平まで通った経験がある。まさにドラマで描かれた石川数正の心境に近い。
しかし、ほぼ指導できた頃、自宅に一通の手紙が来た。そこには、もうゴム会社へ来なくて良い、SiCを忘れろ、と書かれていた。
本来は酒の席でも設けてもらえるのか、と思ったら、もう来なくてよい、というよりも来るなである。その後、たまたま学会賞の審査員になっていた時に、このゴム会社の半導体治工具事業の推薦書を審査することになった。
そこには、当方が転職した翌日から開発が始まった、というウソが書かれていた。現実はこのように展開する。石川数正は歴史に名前が残っているだけでも幸せである。
事業立ち上げまで深夜まで勤務しながら残業手当も出ず、その中で努力したにもかかわらず、名前は基本特許の発明者ぐらいしか残っていない。
学会賞その他多くの受賞をこのテーマは受けているが、すべて事業立ち上げで最も苦労した時に関わっていなかった人物ばかりである。
当方だけでなく、当方の業務引継ぎ後、業務中に脳梗塞になられた上司や無機材研から戻ってきたときの上司の名前は無い。当方は過重労働でこれら上司の希望に答えたが、プロジェクト推進において精神的負担が大きかったと想像している。
お二人とも平均寿命以下で、最初の上司は担当して1年で胃かいようから胃がんになりお亡くなりになっている。転職した当方の名前を書けなくても,その職についておられ脳梗塞で入院された上司の名前だけでも入れていただきたかった。事業がうまく流れている時のメンバーだけ書かれた推薦書を見てこの方たちを思い涙が出た。
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