2015.02/04 混練プロセス(30)後藤さんの問題との共通点
イスラム国の事件については、ジャーナリストである後藤さん一人の自己責任論でかたずかない問題である。今回の事件で、世界中の(少なくとも日本中の)知識人がイスラム国と後藤さんの問題を考えたのではないか。ただ遊びに行って捕まったのであれば、これほどの問題にならなかったであろう。彼は彼の使命ゆえに第一線を越え事件に巻き込まれたのである。ただ、政府から渡航禁止要請が3度も出されていた、というから少々残念ではある。しかし、その人の職業観とも関係するので複雑である。
PPSを用いた中間転写ベルトの開発における混練プロセスの内製化というテーマはこの問題に似ていた。外部のコンパウンドメーカーの技術サービスから素人は黙っとれ、と言われ、半年後に迫ったテーマ判断の答が、悪い方に決まってしまった。その悪い方の決断をするために、退職間際の自分が招聘されたと考えられる状況でもあった。
QMSの観点から、配合処方の改良はできず、残されている問題解決手段はプロセス技術だけである。そのプロセス技術について企画では混練技術まで開発する計画になっていなかったので、人モノ金など経営資源は0であった。唯一の頼みとした優良企業からは協力を断られてしまったのだ。優良企業を動かすのも管理職の力量と言ってしまえばその能力が無かったことになるが、その点は前任者も同様の力量である。
しかし、環境負荷が大きく高価なPIで製造されていたプロセスを無溶媒の押出技術に置き換えることは、環境経営の視点から重要であり、技術成果となる大幅なコストダウンと失敗したことによる負の利益を比較して考えると、周囲や上司が仮に反対しても成功確率の高いことがわかっている「やるべき」技術開発である。
幸い自由にできる2000万円の設備予算があったので根津にある中小企業にお願いし、成功したらそこで生産することになるであろう子会社の工場の敷地と全く同じ面積の空き工場を探してもらい、そこで混練プロセスを組み立ててもらうことにした。しかしこれは2000万円でできる仕事ではなく、根津の中小企業の先行投資となる仕事である(注)。
ゴム会社における高純度SiCのパイロットプラント建設はじめ過去の成功実績から社長は快諾してくれた。当方は自己責任(一応周囲の関係者には話したが誰も判断を下せる内容ではなかった)でこの外部のプロジェクトを推進し、毎日曜日は東京へ自費で帰る生活になった。その結果家族は今でも当方が単身赴任していた感覚は無かった、と言っている。
ゴム会社における高純度SiCの事業化では6年間と言う長い道のりを一人で歩くことになったが、会社の役員にその使命が認められており、予算も少しあった。しかし、コンパウンドの内製化プロジェクトは半年と言う短い期間ではあるが、会社からは承認されていない(2000万円の稟議にはセンター長の印も必要だったので正しくは黙認状態)使命を自己責任で遂行しなければならなかった。しかし役職から会社のためにその使命は遂行すべきと判断し、さらに根津の子会社社長も当方を信頼してくださったこともあって、休日返上でがんばった。
その結果は大成功し、半年後予算外申請で混練プロセス建設予算を計上することができた。工場立ち上げから新製品販売開始までの期間が短すぎることを考慮したら、この申請も本来は却下されるべきであったが、なぜかすんなり通ったのだ。皆の心の中の思いは、PPS中間転写ベルトを新製品に載せたかったのである。その後前任者はその成果でセンター長に昇進し、当方は新しい上司に1年後の2011年3月11日を退職日と決めたことを伝えた。誕生日よりも早い退職予定日である。
(注)二軸混練プロセスを建設するには、発注から完成まで日本では最低半年かかる、と言われている。また、納入されてから立ち上げまで、最低1ケ月は必要である。これを中古機の導入で短縮し、さらにQMSの要求を満たすために最低3ケ月まで縮める必要があった。すなわちPPS中間転写ベルトの採用可否判断をするときには、内製化コンパウンドで製造したベルトが完成していなくてはならなかった。豊臣秀吉の一夜城と同じ戦術をとったのである。社内の各部署の暗黙の承認と協力が無ければ実現できなかった仕事である。
カテゴリー : 高分子
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