2015.06/20 科学と技術(3)
ドラッカーの「傍観者の時代」には、彼の技術に対する考え方が出てくる。基本的な彼の考え方は、「テクノロジーこそ、哲学、文化、美学、人間学と結合されるべき」、すなわち技術を技術者だけにまかせていてはいけない、ぐらいの考え方である。
技術が人間の営みである以上彼の考え方は正しいと思うし、技術はそのように発展してきた時代もあった。それが科学の時代に科学と技術が結びつき、悪いことに科学主導で技術が進歩したために、環境問題を引き起こした。
人類は技術進歩による環境破壊を問題視し、その解決策の一つとしてISO14001をまとめている。環境破壊は大きな問題だが、それをとりあげた「科学技術は人類を救うか」というTVドキュメントがかつてあったが、このタイトルのセンスは悪いと感じた。
科学は哲学の一つであって、科学=技術ではない。技術者が科学を重視しすぎたために自らが開発した技術の環境への影響評価を忘れたのだ。そもそも技術は人間の生活感と結びつかなければいけない。人間が自らを幸福にするために技術を真剣に考えるならば、技術の将来は、人間の幸せを約束するだろう。
このような技術の未来について語るときに、科学との関係認識が重要であるように、日常の問題解決においても科学の活用方法を正しくすることも大切である。すなわち取り扱おうとする問題が、科学ですべてが解明された分野に属しており、結果が明らかなときにだけ、科学の成果を活用すると技術開発の効率をあげることができる。
しかし、完全に科学的に解明されていない現象の機能を技術として採用するときに、科学に縛られると問題解決を難しくする場合がある。悩ましいのは教科書に書かれている科学の成果にも、その現象の真理がすべて解明されていない場合があるのだ。技術開発において科学的方法以外にヒューマンプロセスによる方法があることを覚えておくと鬼に金棒である。ご興味のある方はお問い合わせください。
カテゴリー : 一般
pagetop