2012.10/28 標準化の功罪
バブルがはじけ、失われた10年とか20年とか形容され、なかなか日本の経済が回復していません。またIT化は急速に進みましたが、その他は進歩が止まったような錯覚になる分野もあります。しかし、IT化と同様に進化したのが標準化とかマニュアル化。サービスは均質化され、どこのファーストフードの店にいっても、「いらっしゃいませ」から始まります。
明るい笑顔で挨拶されて気分は悪くないですが、混雑しているときに、挨拶から始まりメニューの説明など一通りの口上が終わらなければ注文を問う作業が始まらない。並んでいて前の人の説明を聞いてメニューなど理解しているにも関わらず1分弱マニュアル通りの口上を聞かなければならない。ためしに口上が始まる前に、こちらから笑顔で挨拶し、注文の品と値段を立て板に水のごとく話したところ、その場の雰囲気がフリーズし、レジ打ち作業の手も止まっている。
自宅の近くに昔ながらの商店街があり、時々散歩ついでに何か一品買い物をする。なじみの店の親父は、3日も顔を合わせないときには、「最近顔を見かけないから心配してました」と口上が始まる。言われる前にこちらから「久しぶり」と言うと、その日の親父の気分の回答が返ってきて、「何に致しましょう」とテンポが良い。作業が標準化していないので、混雑しているときなど買い物は一瞬で終わる。
なじみの店かどうかという問題よりも、標準化された接客態度に疑問を感じます。経営の視点から最低限の品質を確保するためにマニュアル化や標準化を進めるのは間違ってはいないでしょうが、その結果無駄や効率の低下が生じるならば、少し見直しが必要かもしれません。
接客態度に限らず、この20年様々な分野で標準化が進みました。また新しい市場では標準を獲得することが戦略となっています。しかし、標準化には効率の低下や進化を止める副作用が生じる可能性があることを考えなくてはいけません。品質の安定化は大切なことですが、行き過ぎた標準化は見直す必要があるように思います。
カテゴリー : 一般
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