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2015.08/16 模倣と創造

東京オリンピックのロゴが模倣ではないかと騒がれている。その作者による別の作品が、模倣とされ、作者もそれを認めた。ただ認め方が良くない。スタッフの責任にしているのだ。誰が聞いても誠実さと真摯さが感じられない答弁である。もしスタッフの責任だというならば、最初からスタッフの名前を出しておき、自分は監修者として名前を添えればよかった。そのようになっておれば、今回の答弁に皆納得しただろう。
 
ところで東京オリンピックのロゴだが、模倣かどうか判断するのは当方の役割ではないのでコメントは避けたいが、どう見ても酷似しすぎている。サントリーの袋のデザインもそうだが、模倣そのままはパクリであり、創造が命の世界ではやってはいけないことだ。しかし、模倣から創造を生み出す手法もあり、この問題はややこしい。今回のデザインが模倣ではないとしたならば、仕事のやり方が下手であるので、機会があれば模倣から創造を生み出す手法をご指導したいと思っている。
 
すでにこの欄でも書いたが、日本化学会技術賞を受賞した高純度SiCの仕事はポリウレタンRIMの模倣からスタートしている。プロセシングを完全に模倣することから着想しているのだ。しかし、ポリウレタンRIMと似ても似つかぬ技術として創造している。かたやゴムのプロセシングであり、完成したのはセラミックスのプロセシングである。だから世界初の独創の技術として学会の賞をゴム会社は受賞できた。
 
模倣から創造を行うコツを機会があれば活動報告でも紹介したいが、弊社の研究開発必勝法の一部のプログラムである。難しい方法ではなく、とかくぱくりと騒がれる中国人にも容易に発明ができると喜ばれているコツである。東京オリンピックのロゴやサントリーの仕事もこのコツを用いていれば、騒ぎにならなかったと思っている。それどころかピカソ級の創造物が生まれた可能性がある。当方ならば現在の東京オリンピックのロゴを創造のレベルまで完成させることができる。ただしデザインとして美しいかどうかは自信がないが、技術では成功体験が豊富である。
 
著名な芸術家も習作として模倣を行っているので、模倣自体は悪いことではない。模倣したものを自分の創造物というところがまずいのである。模倣から出発しても創造のレベルまで創り上げれば自分の創造物と言ってよい。日本では創造者を尊重しない風土だからこのあたりはわかりにくいかもしれないが、ピカソなどの著名な画家でも模写を頻繁に行っており、彼の作品を観察すると模倣を当たり前として作業の中に取り入れていた可能性をうかがい知ることができる。
 
ただ彼は創造の真の意味を理解していたので、模倣のレベルの作品に対して自分の名前をつけなかった。あくまで創造の域に達した仕事に対して自分の名前を入れている。創造の域を見極められるかどうかは一流と三流の違いである。一流は模倣からスタートしても創造の域を見極められるので、誰もが新規性を認められる作品を創りだせるが、三流はそれができないので第三者から模倣に見られてしまう。
 
高純度SiCを初めとして当方の仕事について模倣と言われたこともなく、捏造騒ぎも起きていない。特公昭35-6616そのままの仕事である酸化スズゾルの帯電防止層の仕事でも、新たに出願した特許は公告特許として成立し、日本化学工業協会から技術特別賞まで頂いているほど創造の域に達している。
 
酸化スズゾルそのものは、昭和35年当時の再現だが、パーコレーション転移の制御方法や計測方法など古い特許に書かれていなかった、また過去に知られていなかった新たな技術を開発し、その再現が誰もできなかった技術の模倣であるにもかかわらず、誰でも機能を発揮できる技術として創造のレベルまで高めている。
 
それでは模倣と創造の違いとは何か?恐らく芸術でも研究や技術の世界でもそれは同じと思っているが、生み出された実体が持つ「新しさ」である。そこに万人が認める「新しさ」があれば、それは創造物と言える。東京オリンピックのロゴも基になったと言われているロゴと並べて新しさがあるかどうかを議論すればよい。
 
裁判で結論が出されてからひっこめる愚行だけは日本人としてやってほしくないと思っている。今回の場合、誠実な対応方法は辞退だが、一流ならば仮に模倣でなかったとしても模倣と言われれば「新しさ」の表現ができていなかったと反省して辞退するが、三流は辞退と言う言葉さえ思い浮かばないものである。
 
スタップ細胞の騒動では、その存在証明を示すマウスにES細胞が使われていた秘密を未熟な研究者は語らなかったので、退職した研究者に刑事事件として訴えられてしまった。東京オリンピックのロゴ事件も一流か三流かを問う踏絵状態に今なっている。名誉を守れるうちに、一流ならば早く決断したほうが良い。このような問題で決断が遅れれば遅れるほど傷は深くなることを昨年学んだはずだ。
 

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