2015.09/23 模倣から創造へ
卒業研究でシクラメンの香りを合成していたときに指導をしてくださった先生が小竹先生のコラムを見せてくださった。このコラムには研究とは「何か新しいコトを見つけること」である、と書かれていた。科学は自然界の真理を追究する哲学であるが、それを「研究する」意味など考えたこともなかったので少し感動した。
シクラメンの香りの全合成は、他の研究者によりすでに成功していた。しかし卒研ではスタート物質としてジケテンを用いた新たな合成ルートを研究し見つけるのがゴールだった。分子骨格のデザインを実現するために新たな合成ルートを見つけることは当時の有機合成化学のテーマの一つだった。また合成ルートをコンピューターで見つけるロジックも発表されたばかりの時代だった。
小竹先生のコラムを読むように言われた意味も当時の研究背景から理解できた。すなわちジケテンをテルペン類の前駆体に用いる基礎研究は前年の研究テーマとして完成していた。だから、それを用いてシクラメンの香りの合成ルートを研究する意味は、合成条件を探す作業だけになる。しかしそれだけの作業にも様々な新しい発見があった。それを学べ、というのが指導してくださった先生の意図であった。
当時官能基の変換を行う反応に関する科学情報はすでに豊富にあった。しかしそれらは理想的な分子構造あるいは反応条件におけるアイデアだった。新たな合成ルートの研究には、過去に検討されていない分子構造における反応条件の最適化が必要になった。その最適化の過程で過去に提案された反応機構の間違いなどが見つかることもあった。すなわち実践知の蓄積と形式知の完成の両者の知を追求する学問が有機合成化学だった。
科学という分野における化学は、科学成立以前から存在していた特異な学問である。ゆえに化学には技術を学べる科学的なテーマも存在する。しかしアカデミアでは、技術を教えていないもったいない現実がある。このあたりは別の機会に書くが、学生時代に化学と言う学問に技術の要素が含まれていたおかげで、模倣から創造を生み出す方法を学ぶことができた。
そもそも実践知の進歩では、模倣が重要な役割を担う。暗黙知も含めて完璧な模倣がまずできることが重要なので、昔は徒弟制度という仕組みが利用された。ただし完璧な模倣だけでは知の進歩は無い。機能を進歩させる何か新しい要素が加えられて初めて知が進歩し、そのとき創造がなされた、と人類は評価している。
模倣は創造のための一つのステップであり、決して軽蔑される行為ではない。軽蔑すべきは模倣を自分の独創と主張することだ(注)。模倣から創造された実体について独創が認められるためには、オリジナルとの相違点、とりわけ「新しさ」が重要になる。技術ではさらに「進歩性」が問われる。弊社では、模倣から創造を行う方法について一部を発明として特許にまとめた。そして著作権が問われないオリジナルデザインを可能とする特許を現在審査請求の準備中である。もし斬新なデザインをご希望の方は弊社へお問い合わせください。
(注)研究であれば、他人の研究を自分の研究の如く発表したり、独創の研究を行った人間との立場や地位の違いを利用して自分の研究にしたりすることも軽蔑すべき行為である。研究についてこのような行為を行う破廉恥な人を身近に見てきたが、そのような破廉恥な人を信じる社会的損失の大きさも問題である。真のクリエーターを育てるためにはオリジナルを尊重する風土が重要となるが、日本はまだこの点において後進国のような気がしている。
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