2024.01/20 大馬鹿モン(1)
1979年4月にゴム会社へ入社したが、当時は10月1日に配属が決まるまで新入社員研修が半年あった。さらに配属後1年半は試用期間で、残業代もつかなければ、業務上の責任も問われないから思い切って仕事をせよ、と指導された。
人事部からこのように指導されたので、思い切って仕事をしたところ、高分子の難燃化研究では、趣味で仕事をするなとか、君のためにその装置を買ったわけではない、とか上司から意味不明の嫌味(注)を言われただけでなく、責任が無いはずなのに、ホスファゼン変性ポリウレタンフォームを半年で工場試作したところ、始末書を書かされている。
工場試作を決定し調整したのは上司であり、当方は上司の指示で世界初の最先端技術を企画し、短期間で成功させただけである。始末書でも将来の査定に影響するのではないかと心配したが、上司の許可印を頂いてIBM3033を使用しデータサイエンスの研究をしていたら、パソコンをローンで購入するように言われたのは少し悲しかった。
10万円の初任給の時代に80万円のローンを組まされ、上司がそれに印を押したのである。もっとも今となっては感謝しているが、事実だけを証拠を揃えて訴えれば、パワハラに過重労働、給与の搾取、今の時代ならば十分に事件となる。
12年間とにかく力いっぱい全速力で仕事をやっていたが、明らかに犯罪と呼べることが身の回りで起きて、それを隠蔽化されるというので、身の危険を感じて転職している。
当方が転職後ゴム会社で新聞に載るような大事件が起き自殺者が出たが、組織内の事件では被害者はまず命を守ることを優先すべき、と考えてほしい。生きていれば加害者の問題を社会で次の時代に活かすことができる。
不思議なことに組織内の犯罪では、加害者はそれを犯罪と考えていないことが多い。隠蔽化という判断が当時なされたが、研究所の管理職の無責任さは、新入社員時代の始末書で体験していた。
さて、表題は1か月間の新入社員研修でタイヤの軽量化因子を探索する研究を体験し、それを発表した時に専務から大声で言われた一言である。その後10分近く叱責の言葉が続き、今ならば完全にアウト、そして磔状態となった当方が自殺でもしたならば事件となるような出来事だった。
しかし、この時のパワハラを当方はパワハラではなく、技術とは何かを身に着けた貴重な瞬間と捉え、専務に感謝している。専務がお亡くなりになった時には、転職していたが、葬儀に参列して感謝の気持ちを伝えている。
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