2015.11/06 科学者と技術者の倫理観
科学者はなぜ高い倫理感が求められるのか、それは性善説で科学者の世界が運営されているからだ、という話を読んだことがある。しかし、この見解は抽象的であり必ずしも満足な説明になっていないと思う。それよりも科学者の高度な知識から生み出される成果に対して、その時代の大衆には正しく評価あるいは理解ができず、科学者だけにしかそれができないから、と思っている。
それでは、技術者についてはどうか。一般の技術は(注)、まず機能が正しく働くことが求められる。それにより大衆が評価できる価値が生み出されなければ社会に受け入れられないので、そこで技術者の倫理感は大衆のチェックを受けることになる。大衆の倫理感がその時代の技術者の倫理感になる、という特性がある。
例えば、VWの不正プログラムの問題について興味深い点は、排ガスの環境規制が最初に登場したときに大きな社会問題にされなかった実車走行のデータと評価時の走行データの乖離が、大きな問題になっている点である。ご存じのように排ガス規制とそれを遵守させるためのテスト方法には歴史的変遷がある。
排ガス規制登場時の評価方法は稚拙であり、評価値だけが低くなるような事例が多く、その方法の見直しがこれまでなされてきた。今回不正プログラムが判明したのも、現在の評価方法のデータが実車走行の状況を正しく表しているかどうか調べていて偶然見つかった。
誤解を恐れずに言えば、今回の事件はメカニカルな仕組みで不正を行っていた内容をコンピュータの進歩でソフトウェアーによる不正に切り替えただけ、という見方もできる。VWの技術者には「どうして?」と今でも疑問に思っている人がいるかもしれない。
これは、大衆がメカニカルな不正を不正として捉えたのではなく、評価技術の問題として捉えたからで、不正としてその当時追求しなかったのである。しかし、ソフトウェアーの不正については、その内容を不正として取り扱っている。
類似例として、防火天井材について過去にこの活動報告で紹介したが、餅のように膨らみテスト用の火から逃れるように変形する材料技術が過去に開発された。冷静に考えれば、材料そのものが難燃化されていなければ、テストには合格できても、実火災では何の役にも立たないことは容易に想像できる。当方も配属されたときにそのインチキ技術にはあきれたが、市場で売れていたので開発した技術者はその問題に気がついていなかった。
結局実火災が発生したときに国の基準を満たしていた天井材で相次ぐ大火災が発生し、建設省による防火規格の見直しが行われるに至ったが、この時、誰もその結果を予見できなかったという理由で倫理感は問われていない。ただ、当時その分野の業界トップという理由で新規格を作る手伝いをやらされた。ヘルメットと安全靴を持って筑波へ通った思い出があるが、倫理感からポリウレタンをフェノール樹脂に切り替える開発を始めた。
(注)兵器産業の技術は、国によりその考え方が異なっているので、一般の技術として扱わない。
カテゴリー : 一般
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