2015.11/18 ドラッカーの技術史観と不正問題
ドラッカーの著作を読むと、技術は科学の誕生とともに生まれたと書かれており、科学誕生以前のそれは体系化されていない技能として説明されている。そして、彼は、技術の誕生で知識の意味が変わり、知識労働者の時代になったとして、現代を論じている。
テクノロジーの訳として技術と言う言葉が使われているのだが、マッハ力学史には、科学誕生以前にも技術は存在していたと述べられている。また、ファーガソンの「技術者の心眼」では、技術を形式知に偏った技術と実践知と暗黙知も含む技術という扱いをしている。
ドラッカーは技術者ではないが、ファーガソンは技術者であり、マッハは科学者である。ファーガソンの「技術」の意味は、マッハのそれに近い。すなわち、形式知から実践知や暗黙知によるものまで技術として扱っているからである。ドラッカーは形式知による技術だけを技術としているようだ。
形式知で技能を体系化できたことにより、産業革命以後の技術革新が急速に進み、知識の役割や価値が大きく変わり、すなわち知識も資本と同等になり知識労働者の時代になった、と言うわけである。
21世紀になり、フォルクスワーゲンのディーゼル車不正問題や旭化成子会社の杭打ち問題のような知識を悪用した不正が目立つ。これを倫理観の欠如の問題にするのか、QC活動の知識を身に着けていない技術者が作業を行った結果として捉えるのかは、ISO9001がグローバルスタンダードとなっている現代において議論の必要は無いだろう。
ドラッカーの技術史観から現在起きている不正問題は、知識労働者のマネジメントを誤った経営者の責任となり、そのペナルティーとして、市場からの撤退という事態にも至る可能性がある。環境問題を放置すると企業の突然死を招く、といった経営者がいたが、今回の不正問題の解を倫理感に求める経営者には事態の解決ができない。
マネジメントの意味が、成果を目的として知識の適用の仕方に関する知識とドラッカーの書に書かれているので、QCの知識を持っていない作業者の教育を怠った責任が経営者に求められているのだ。技術分野の知識労働者の再教育について弊社へご相談ください。
カテゴリー : 一般
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