2024.05/07 科学と技術と芸術と(4)
バネとダッシュポットのモデルでゴムを議論して問題となったのは、クリープである。高分子のクリープをうまく数理モデルで記述できなかった。そこで分子一本から論理を積み上げていく方法として、元名古屋大学土井先生のOCTAが注目された。
名古屋大学から東大に移られたがOCTAという名称は名古屋市のマークから生まれているので元名古屋大学とさせていただいた。
OCTAは分子1本の運動からそれらを寄せ集めて、バルクの形態の運動までズーミングしシミュレーション可能である。それにより、クリープや破壊現象のように金属やセラミックスでは科学で成功していたが高分子では難しかった現象をシミュレーションできる。
ただし、このようなことは熟練した高分子技術者であればOCTAに頼らなくても思考実験で行ってきた。そしてOCTAでデータマイニングが不可能な非平衡状態でも思考実験で実現しアイデアをひねり出してきた。
OCTAの凄いところは、当時のコンピューター資源まで考慮して考え出されている点だ。早い話が頭脳のレベルに配慮したアルゴリズムで設計がなされている、といってもよい。
大学のテストもこのような配慮を土井先生がなされていたかどうか不明だが、このような視点はある意味芸術的でもある。芸術は、手段の制約の中で最大限の美を表現しようとして創造物を完成させるからである。
また、実際に芸術家は、小説家でも画家でも皆表現手段の制約の中で美を生み出そうと苦しんで活動している。例えば、芸術大学の学科に写真学科がある。写真も芸術の一分野であり、それについて説明したい。
写真は、芸術の中でも制約の多い芸術である。写真は、シャッターを押した瞬間に芸術を完成させなければいけない「瞬間芸」である。後から修正は許されないのだ。今、デジタル写真の分野ではその修正技法の広がりから様々な表現が生まれているが、これを写真と呼んでよいのか不明である。
表現手段の制約を超える表現の工夫に着眼すると、芸術においてもイノベーションが生まれる下地がある。写真という芸術では、デジタル化によりイノベーションが起きているのだ。
例えば、瞬間的に画像を形成する銀塩写真フィルムと異なり、デジタルカメラでは画像として保存されるまでに様々な処理がなされる。これがカメラごとに異なる。現像処理プロセスがアナログ時代と大きく変わっている。
それだけではない。現像処理の自由度が大幅に上がり、RAWデータさえあれば何度でも現像処理ができるのだ。また、現像処理方法により、画像の印象を大きく変えることもできる。
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