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2015.07/29 未だ科学は発展途上(8)

写真会社に転職した頃に話を戻す。写真フィルムにとって帯電現象はフィルムそのものの品質を低下させるだけでなく、せっかく撮影した作品を台無しにする。ゆえに帯電防止技術は乳剤技術同様に重要な基盤技術である。しかし、転職した会社の帯電防止技術はライバルに後れをとっていた。

 

例えば印刷用感材の帯電防止技術について、ライバル会社の写真フィルムにはアンチモンドープの酸化スズが帯電防止材料として使われ、現像処理後も写真フィルムに高い帯電防止処理能力が残っていた。写真フィルムのような感材の現像処理ではアルカリ性と酸性の水溶液にさらされるので、界面活性剤やイオン導電性高分子などの帯電防止層はこの過程で何らかのダメージを受ける。しかし金属酸化物導電体は化学的に安定であり、その影響を受けにくいので、現像処理後も処理前と変わらない導電性を有しており、感材の帯電を防ぐ。

 

転職した会社ではイオン導電体をエポキシ系の化合物で架橋し、帯電防止層として利用していた。しかしこの技術では金属酸化物ほど現像処理過程で安定ではなく、処理後にわずかばかり帯電防止能が低下する。ゆえにそれを補うために表面層の設計も必要だった。この合わせ技で何とかライバル同等の品質を維持していた。

 

本音は金属酸化物系帯電防止材料を使用したかったが、転職した会社では、長年にわたり出願されてきたライバル会社の特許を回避することが難しいと信じられていた。そのような状況でライバル特許群を読んでいて、科学的におかしな表現を特許に見つけ(すなわち科学ですべてが解明された時代にはうそと言っても良い内容である)、それがきっかけとなり転職した会社で昔出願された酸化スズゾルの特許を発見できた。

 

しかし、酸化スズゾルについては、新素材として数年前T社から上市されていたので、転職した会社では評価が完了し、酸化スズゾルにはライバル特許に書かれているように感材に用いるには十分な導電性が無い材料という結論が出されていた。(続く)

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2015.06/18 私のドラッカー(11)

「道具としてのテクノロジーと、文化としてのテクノロジーが一つのものになるのが、実に「仕事」においてである。」とドラッカーは、「傍観者の時代」(1979)で述べている。すなわちテクノロジーをものの行い方やつくり方としてとらえ、かつ人と社会に関わるものとしてとらえている。

 

科学では論理の厳密性が要求され、真理をねじ曲げ新たに捏造することは許されない。しかし、テクノロジーでは人類に貢献できるように臨機応変、柔軟に変更することは許されるのだ。21世紀はじめに「コト」の時代であることが叫ばれた。すなわち新しい「モノ」ではなく「コト」を考えろ、といわれた。

 

しかし、せっかく新しい「コト」が提案されても、従来通りの科学に隷属した技術開発を行っていては、新技術は生まれない。科学におけるものの行い方では、論理で制御された行い方しか許されない。その結果、科学的に証明される当たり前の技術だけが生み出される。

 

科学で未解明の機能は、たとえそれが有用な機能であっても使うことが禁じられる。これでは技術の進化は科学を追い越すことができないだけでなく、科学の進歩が止まったとたんに技術の進歩も停滞する。

 

「マッハ力学史」によれば、技術は人類とともに生まれ進歩してきたが、科学はニュートン以降に生まれ進歩している。確かに技術は科学のおかげで20世紀に急速な進歩を遂げたが、あくまで科学が便利な道具として使われ、それが急速に進歩したからである。その道具の進歩が遅くなったなら、科学以外の方法も活用し、人類は技術を進化させなければいけない。

 

人類がこれまで価値を生み出してきたのは技術の進化のおかげで、その進化を止めれば新たな価値を創造できなくなる。「コト」で価値が創造されたなら、その「コト」を実現するために新たな技術開発も必要だ。非科学的方法論が重要な時代になってきた。

 

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